スピード・グラフィック


 「スピグラ」で有名なグラフレック社の前身は1881年に設立された Folmer and Schwing(New York) で1890年に会社組織 Folmer and Schwing Mfg. Corp.(New York)になった。その後1905年イーストマン・コダックと合併して Folmer and Schwing E.K.Corp.(Rochester)が設立された。1908年イーストマン・コダックに吸収されて同社のディビジョン Folmer and Schwing Devision E.K. Corp. となり、1917年には Folmer and Schwing Dept. E.K. Corp. と改名された。1926年に Folmer Graflex Corp. として再び独立したが、 Graflex Inc. という社名になったのはずっと後の1945年のことである。

スピードグラフィック 7つのモデル


 プレスカメラの王者として「スピグラ」の愛称で知られるスピードグラフィックはグラフレックス社が60年にわたって製造した大型スチルカメラである。
 「スピグラ」には作られた年代によって愛称が付けられている。「アニバーサリー」や「ペースメーカー」などはメーカによって付けられたものであるが、初期の「スピグラ」は後年になって便宜上「トップハンドル」、「プリアニバーサリー」と呼ばれるようになった。いずれの時代も「スピードグラフィック」であったことはいうまでもない。


1 TOP HANDLE 1912〜1927

 そもそもスピードグラフィックは「フォーカルプレーンシャッター付きのコンパクトな折畳式ラージフォーマットカメラ」としてデザインされものである。前身にはサイクルグラフィック(1900〜22)というリボルビングバックの蛇腹カメラがあったが、これはまだ「スピードグラフィック」とは呼ばれていない。当時同社の主力機種「グラフレックス(1眼レフ)」は大きく、重く、速写性に乏しいカメラであった。
 「スピグラ」は長年プレスカメラの代名詞として君臨したが最初からプレス用として設計されたわけではない。

 「トップハンドル」は革の取手(ハンドル)がカメラ上部に付けられていたのでこの愛称がある。カメラ上部には折畳式のファインダーが同居していてそれほど使いやすいカメラではなかった。蛇腹にはまだテーパー(傾斜)が残っていてアオリもライズのみであった。
 4×5以外に、3×4、3×5や5×7の各フィルムサイズに応じたモデルも生産されていた。シャッターはT、1/10〜1/1000秒、レンズはツァイスのKA f6.3やB&Lテッサー f4.5が付けられていた。1915年当時の価格はボディ(4×5)が35ドル。B&Lツァイステッサー付きが75ドル。



2 PRE−ANNIVERSARY 1928〜1939

 次の「アニバーサリーモデル以前」という意味から後にこの愛称で呼ばれるようになった。
 1928年発売と同時に報道カメラマンに喝采をもって迎えられたカメラである。1眼レフのグラフレックスに比べてコンパクトで堅牢なことがその理由である。後年のプレスカメラとしての「スピグラ」はこのモデルをベース改良されていったといっても過言ではない。
 このカメラは蛇腹からテーパーが消えて「たいら」になり、その結果レンズボードも4×4インチの大きなものに代わりフロントシャッターも使えるようになった。またハンドル(取手)はボディサイドにまわり速写に必要なフレームファインダーがレンズボード上部につけられて撮影時の操作性が向上した。
 このモデルのバリエーションはそんなに多くはないが1939年式から折畳式ファインダーが筒状のものに改められた。最終機にはカラート(連動距離計)のついたモデルも現れたがフォーカシングノブはまだ一個であった。
 フィルムサイズは4×5以外に5×7があった。レンズはコダック・アナスチグマットf4.5 やシュナイダーのクセナー 6.5インチ f4.5などがあった。1928年当時の価格はボディのみが88ドル、コダック・アナスチグマット(シャッター無し)付きが129ドル、クセナー(コンパウンド・シャッター)付きが148ドル。



3 MINIATURE 1938〜1946

 1938年に4×5モデルの機能、外観を落とすことなくそのまゝ小型になった2×3専用の「スピグラ」が登場した。「ミニアチュア・スピードグラフィック」である。
 この「小型スピグラ」にはフォーカルプレーンによるフラッシュの同調機構やダブルフォーカシングノブなどの新機能が追加されて、次のアニバーサリーモデルに引き継がれている。アオリ機能は「4×5スピグラ」より後退してベッドダウンも左右のシフトもできない。
 1938年デビューした頃のごく初期のモデルはファインダーが起立式であったが翌年から筒型のものに変更された。この年からすべての「スピグラ」にこの筒型ファインダーが採用されるようになった。レンズボードは2.5×2.5インチのモールド樹脂が使われていた。
 「スピグラ」のフォーカルプレーンのシャッターは6種類のバネと4つのアパーチャー(シャッター幕の窓)の組み合わせによって24種類のマルチスピードが得られ、Tと、1/10〜1/1000秒の範囲で種々の速度を選択することができた。
 レンズは主にカールツァイスのテッサー105mm f4.5やコダックアナスチグマット f4.5が付けられていた。価格(1940)はテッサー付きで117ドル。



4 ANNIVERSARY 1939〜1946

 ボディの大きさは以前のものと変わらないが多くの改良が加えられて登場した。
 レンズボードはまだ木製であったがボードまわりはすべて金属になり、ドロップベッドが可能になってアオリの操作性が改善された。フォーカシングノブもデュアル(左右)になり使いやすくなった。レンズボードをスライドさせるトラックもワイドレンズが使えるように改良された。ボディはクロームの縁取りがなされてより斬新なデザインに変身した。カラートレンジファインダーが標準装備となり、待望のフラッシュガンが追加オプションとして用意されていた。戦時中は品不足からかクロームの縁取りのないブラックモデルのみが生産されたようである。
 このアニバーサリーモデルはスピグラの長い歴史のなかでも、その細工、仕上げの良さにおいて頂点にあったカメラで、以後「スピグラ」にこのクオリティが戻ってくることはなかった。コレクターの間でも人気の高い機種である。
 レンズはカールツァイスのテッサーをはじめ9種類のレンズの選択が可能であった。ワイドや望遠レンズもこのモデルから使われ始めた。1940年当時の価格(4×5)はテッサー付きで132ドル。



5 PACEMAKEAR 1947〜1957

 戦後、われわれが4×5プレスカメラとして一番なじみの深いのがこのペースメーカーグラフィックで、このファミリーには3つの異なったモデルがある。
 1947年新機能を満載したスピードグラフィックとともにクラウングラフィックが登場した。クラウングラフィックは従来「スピグラ」の定番であったフォーカルプレーンを取り除いた軽量、コンパクトな機種であるが、後に4×5の国際規格になる「グラフロック・バック」を付けてデビューした人気カメラであった。グラフロック・バックと呼ばれる後部機構はピントグラスを着脱することができ、これによってロールホルダーやポラバックが使えるようになった。発売当初はスピード、クラウンとも4×5以外に2×3、3×4判もあった。
 1949年に三つめのモデルである2×3専用のセンチュリーグラフィックが登場してくる。これは2×3クラウングラフィックの機能を維持したまゝボディのみを樹脂(モールデッドプラスチック)にした軽量カメラである。このセンチュリーにも、後に国際G規格になる「6×9グラフロックバック」が取り付けられていた。この年からグラフレックス社のすべてのカメラがグラフロック・バックに変更された。また古いスピグラをグラフロック・バックに改造するためのセット部品も販売されていた。
 ペースメーカーになってレンズボードは金属製に改められ、無限位置ストッパーも改良されて接写のときなど簡単にこれを飛び越してレンズがセットできるようになった。スポーツファインダーも使いやすいモダンなものに変わりボディ全体のデザインもスマートに変身した。アオリにはチルトが追加されセンチュリー以外のモデルにはボディシャッターも付けられた。
 スピードモデルには途中から、従来のマルチ・スピード・フォーカルプレーンに変わって「スーパーDグラフレックス」に採用された幕速2段切換えの6スピード新型フォーカルプレーンが付けられた。60、250、1000と30、125、500のスピードが得られるものである。
 1950年代の終わり頃になってレンジファインダーがカメラの上部に移った俗称「トップ・レンジファインダー」というモデルも発売されている(スピード、クラウンの4×5モデルのみ)。このモデルには従来のカラート・レンジファインダーに代わってボディ上部に専用の距離計がビューファインダーとともに一体になって組み込まれた。ビューファインダーはパララックスが自動補正される。またカムの交換によって複数のレンズの連動が可能になった。ファインダーハウジング内部には GRAPHIC Rangefinder with Viewfinder and Rangelile の登録エンボス文字があり、その後のモデルにカラートは採用されていない。ファインダーハウジングの中には電池と豆ランプを組み込んで2本のビームを出し暗闇でもピント合わせのできる機能(レンジライト)も付いていた。

 この頃から2×3、3×4機種は売れ行き不振のため製造が中止されたが、センチュリーはまだ中判カメラの人気を保って存続していた。センチュリーにはクロ、グレー2種類のボディがあり、蛇腹も赤、クロの選択が可能であった。1966年にはグレイボディにクロ蛇腹のデラックスモデル「センチュリー・プロフェッショナル」が発売された。

 ペースメーカーのレンズにはエクター、クセナーやオプターが、センチュリーにはグラフラー、テッサー、ヘリゴンやクセノターなどが用意されていた。


ペースメーカー各モデルの販売期間
 
”23” スピグラ1947−1958
”23” クラウン1947−1958
”23” センチュリー1949−1970
”34” スピグラ1947−1963
”34” クラウン1947−1962
”45” スピグラ1947−1970
”45” クラウン1947−1973


6 SUPER 1958〜1973

7 SUPER SPEED 1961〜1970

 このモデルからボディは長い歴史のある木製から金属製に改められフォーカルプレーンシャッターは廃止された。シャッターレリーズは内蔵ソレノイドによる電気式となり、カムによって90〜380mmのレンズがレンジファインダーに連動するようになった。アオリ機構にはスイングとダウンチルトが追加され、前アオリの機能が充実した。バック・アオリはできないがレボルビングが可能になった。ビューファンダーは本体には組み込まれず別に取り付けて使用するようになった。
 1961年に登場した「グラフェックス1000」というフロントシャッターの付いたモデルをメーカーは特に「スーパースピード」と呼んで区別していた。両者の違いはレンズフードに特徴があり簡単に見分けることができる。このフードは時計方向に回すとシャッターのコッキングができるユニークなものであった。レンズシャッターでありながら1/1000秒を可能にしたもので(B、T、1〜1/1000秒、M、X接点付き)オプター135mm f4.7付きのほかテレ−オプター270mmf 6.5付きもあった。
 スーパー・グラフィックのレンズはおもに127mm f4.7エクターだが、135mmレンズとしてオプター f4.7、クセナー f4.7やジンマー f5.6なども供給された。またワイドオプター90mm f6.8、テレオプター202mm f4.5、ロテラー270mm f5.6、テレオプター380mm f5.6なども標準以外のオプションレンズとして販売されていた。この時代は別売レンズを買うとレンズボード、カム、インフィニティストップが付いており、スピグラとクラウンにはビューファインダー用のマスクとフォーカシングスケールも付いてきた。

 スーパーグラフィックの価格(1958)はオプター135mm付きで361ドル。


(参考文献 a review of GRAFLEX)





 TOYO SUPER GRRAPHIC 1979〜1985

 グラフレックス社は、内外の小型カメラの台頭から大型カメラの需要が落ちて経営が悪化し、晩年はゼネラルプレシジョンやシンガーの傘下に入ってグラフレックスXlなど種々のカメラの生産を続けたが及ばず、ついに83年続いたスチルカメラの歴史の幕を閉じることゝなった。1973年のことである。

 最終モデルのスーパーグラフィックは1979年6月、わが国の酒井特殊カメラ制作所により「トヨスーパーグラフィック」として蘇った。グラフレックス社からスーパーグラフィックの商標や当時のカメラ生産に必要な治工具類を買い取って生産が続けられたもので1985年ころまで生産されその後自然消滅した。スーパーグラフィックとの違いはネジ類がインチからミリに変更されたこと、アクセサリーシューが取り付けられたことである。国内販売価格はボデイのみ298、000円だった。