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 秋田ではよく遊んだ。一時もじっとしていられないくらいよく遊んだ。家から外に出るときは篭から放たれた鳥のようで、遊びが生活といっていいくらいだった。それくらい遊びが印象にある。

 農家や庭はもとより、路、野原、林、森、川原、小川、などなど、自然環境のもとでは変化があって 興味がつきない。だから遊びにことかかない。通学路でさえ遊びながらといった具合であった。自然環境では何時でも何処でも遊び場になる。しかも体だけで遊ぶことができるのだ。なにかがなければ遊ぶことができないということはない。ここがよいところだ。

 これは都会から疎開して、急激な環境の変化のせいかも知れない。地元の子どもには当たり前のことが、私にはそうではなかった。変化に富んだ自然環境は別天地で、そこを自由に行動できるだけで面白く、さらに冒険心が高揚した。

 当初は変化のある地面を走り回れるだけでよかった。こうした環境を自由に行動できる喜びがあった。それに棒と縄やナイフがあるだけで遊びはさらに広がった。遊びは工夫をするから道具や場所であれこれ不満はなく、あるがままでよかった。
 東京での遊びは家か路上あるいは公園であった。何処も整備され行動するのに足下を気にしなくてよい。地面は安定した場所を走り回るくらいであった。それよりも変化のある地形が、森や林はさらに面白かった。なぜなら行動に変化があるからだ。能力が拡大したようで行動自体が面白かった。ここでは体が探知器となり自動的に反応していたのだ。

 たぶん多くの少年がそうであったように冒険小説が拍車をかけた。『ジャングルブック』や『ターザン』のように、猛獣こそいないものの舞台は十分に整っていた。細心の注意を払いながら、あるいはがむしゃらに薮をかき分けながら、人跡未踏と思われる森林の奥へ分け入るだけで冒険だった。枯れ枝が落ちる音や不意に飛び立つ鳥にも身構えた。こうした姿勢にも興奮していた。

 行動自体がこれほど面白く、その可能性を与えてくれる自然環境はなんと素晴らしいのだろう。無意識ながら人工都市から疎開した私にはそのように反応した。中学から東京に引上げ、成人するころから山に親しむようになって一層その意味を確信するようになった。


 自然は常に変化する。時間、天候、四季それぞれに無言でさいなみ育ててくれた。それは正しい見方から理解力、判断力、注意力などなどを身につけることであった。
 当時の私は遊び場としての自然であったが、村は自然の恵みで生活していたのだ。
 ニワと呼ばれる農家の作業場は広く、梁は歩くことがでるくらい太かった。梁から下に積んである藁に飛降りるのは痛快で繰返し試みた。姿勢を変えて多岐に試みた。それは理屈ではなく体が動いていたのだ。

 不可能と思われるところほど動き回るのが面白かった。自分自身の体は本来自由なのであるが、行動に関しては自由にならない。それを克服するのが面白かったのだ。
 こうした遊びは楽しいだけではなく、とても痛快だった。その後の人生に有意義であった。こうした遊びは少年時代に有効で、同じ遊びをしても、成人してからでは経験的に異質なようだ。それはたぶん理屈が先行し、体で感じるというように、真から反応できないからかも知れない。

 自然環境や農家での遊びはなぜ面白いか、それは全身を駆使して自分を試すことができるからだ。自然環境で行動するには困難を極める、それを避けるのではなく挑むのが面白いのだ。むろん当時そんな意識はないが遊びながら実行していたのだ。
 道は鋪装されていないし一歩逸れればより足下に注意を促す。それを避けるのではなく挑むのだ。さらに危険なことをしたがる。これが子どもの本能的な行動であり学習しているといえる。状況はさまざまだ、それにどう対処するか、自ずと思考が伴い知恵がつく。

 変化のある地形を歩いたり走るだけでも、無意識に対処する思考を伴いながら行動している。そして経験を踏まえると予知できるようになる。これを試すのが面白い。
 こんな具合だから生傷が絶えない。黄色く腫れてきたときは触れただけでも痛い。それなのに「ウミを出し切らなきゃいけない」といって容赦なく親指の爪で絞り出すのだ。痛いから止めてくれといっても聞いてくれない。このときほど強引な母を見たことがない。赤チンは猛烈に染みて痛い。だから少々の傷ならなめて気付かれないようにした。なにせ赤チンだらけで、我ながらおかしかった。それにしても少々の傷なら、そのとき気付かないのは不思議だった。度重なるにつれ、熱中しているときや興奮していると自覚症状がないのだと思った。
 危険なことと悪事以外は自由であったが、冒険して帰るときは後ろめたさがあった。母に心配かけまいとする意識があったのだ。

 普段でも棒になる枝を拾うなり折るなりして持ち歩いた。これは腕の延長で便利な道具だ。とくに未知の林をさまよい歩くときは縄も持参する。こんなときは、時おり母の顔がかすめる。むろんそれだけではないが無事に帰れるように目印を忘れない。特長のある木々ならそのまま覚えればいいけれども、そうでないときは枝を折るなり地面に差したりする。それでも不安なら縄を利用する。わかりやすいように枝に下げたり縛りつけたり、その場その場で千差万別だ。こんな工夫も楽しい。高いところの枝になら、石か一尺くらいの枝を縛って投げればかけることができる。帰りは回収するからなくならない。

 こうした経験を重ねて成長する。体力と五感を鍛え、経験によって体が覚えるということである。これが少年時代の遊びである。自然環境で遊んだことは、結果的にそういうことであった。自然は最大の教師であるというが、まことにその通りであった。
 自由に行動できることはなんと素晴しいことか。あえて泥を跳ねて歩いた。じつに痛快であった。本来大人だってこうしてみたいのだ。けれども他人の目や汚れを気にするからできないだけなのだ。

 自然は無限の状況を提供してくれる。だから遊びは際限なく、より変化を求めて行動するのだ。さらにより高度な遊びを求めてやまないのである。これも自然な成行きだ。
 人は充実した遊びがなければ無味乾燥だ。遊びは楽しく、無意識に学ぶことがなければならない。無意識だから頭ではなく体が覚えてくれる。

 自然を観察することも面白い。興味があれば苦にならない、疑問があれば興味が湧く。むろん当時はそんな意識はないが、結果的にそういうことであった。
 察知する能力は動き回るためだけではない。茸採りもそうだ。落ち葉の盛り上がり具合で見つける子どもがいる。察知できなければ踏みつぶして歩くのが関の山だ。これらは経験と直感しかない。自然はそれを教えてくれる。

 薮を覗くと大量のあけびが見事に口を開いている。それだけに目を奪われていると、とんでもないことがある。蜂の大群に遭遇した経験があれば、そうした注意も怠らない。蜂は攻撃してくるし追いかけてもくるのだ。実戦だから必死に逃げたり防御が面白かった。空襲になぞらえて、敵機だの敵機来襲といって楽しんだ。
 校庭の草むらでなにかに引っ掛かって転んだ。草が結ばれていたのだ。なるほどと感心した、いたずらではあるけれども、こうした発想に感心した。道具は体、材料はそこにあるものを利用するから用意するものはなにもない。知恵がこうした効果を生み出す。

 後年聞くところによると全国的にあり、なんとベトナム戦場でもあったという。
 自然から学ぶことは思考力を培い創造力につながる。これは都合よいではないか。こうなると興味津々だ。そして創造的な変化のある生活でなければ耐えられなくなってしまう。これ人間本来の姿勢であると思う。

 子どものころ「人は誰でも色気と大工心がある」と聞いたことがある。まことに本質を突いている。大工心は作るという意味で創造と解釈していい。かかしや雪だるまは、藁や枝など身近にある素材で手作りした。農耕が正に創造であった。
 また「他人と同じことをするな」とよく聞かされた。それは個を重視していたのだ。
 当時は、現代のように玩具はないから遊びを工夫するのである。同時に創意する思考が働くのである。「遊び」は「学ぶ」に等しい。遊べば遊ぶほど学ぶのである。子どもは遊びが好きだから都合よいではないか。これが子ども本来の姿なのだ。
 もちろん遊んでいるだけではなく、家庭の手伝いもする。とくに農家においては実践して多くを学ぶことができた。仕事の内容はすべてが具体的で容易に理解できたのだ。ここは企業社会のサラリーマン家庭とは大きく異なるところだ。
 学校で学ぶのは主として知識であるが、その理解力も育成された。理解力はすべてに有効で、教科書は一通り目を通せばよかった。人生は知識がすべてではない。それよりも豊かな感性が重要なのだ。なぜなら創造的な思考性がなければ個性もないからだ。

 現代では知識はいつでも仕入れることができる。アタマにいくら詰め込んでも、所詮辞書やコンピュータにはかなわない。だからといって知識はどうでもよいというのではない。常識的な知識は習得しなければならないのである。それは学校だけではなく、家庭と社会から経験によって学ばねばならない。疎開当時の秋田ではそのような環境であった。むろん当時は全国的にそうであっただろう。専門家になるには相当の知識が必要だが、これは自ら選んだ道だから楽しいのである。それはともかく、ここでは少年時代の遊びについて考察してみたい。

 少年時代の遊びは、大人から見ればくだらないと思うかもしれないが、決してそのようなことはない。この時代の感性は純粋で鋭いのだ。鈍感な大人には気付かないだけなのだ。だからギャップが生じるのはしごく当然なのだ。そうした意味で秋田での少年時代はまことに幸運であった。都会では体験できない遊びが随所にあった。
 なにかといえば設備を強調する人がいるが、なにもないほうがいいのである。なにもないから素直に見られるし思考できるのである。そして自分の意思で、責任で行動するのである。当然だが遊びを指導する大人はいない。

 遊園地のように遊ぶ設備があれば意味なく遊ぶだけである。その場は楽しいかもしれないが、野山や川原のように思考することなく場当たりなのである。
 現代の小学生が、自然体験とやらで数日実行しても駄目である。知らない強みで、とんでもないことをやらかすのが関の山である。だから引率者は口うるさくなるのだ。その引率者もおおむね自然を知らないし、問題が起きないように願うことしか頭にない。管理者は子どもの育成よりも自己の責任回避が重要なのだ。だから管理者に都合がよければ「いい子」なのだ。現代はそういう社会で、自分さえよければいいのだ。
 現代はあまりにも子どもを管理・監視し過ぎるから自由がないのである。自由がどれほど尊いものか知らないようだ。管理社会がそういうものなら即刻改めなければならない。

 やりたいこは規制され、やりたくないことを強制されれば平常心を失うのは当然だ。
 農家の子どもたちは遊び相手の兄弟がいる。私はひとりだが寂しくはなかった。自分の意思で行動できるから、むしろその方がよかったと思うくらいだ。数人で遊んでいると性格もわかってくる。さとい子もいればずる賢い子もいる。子ども社会はそのまま大人社会の縮図であった。農家は子どもも手伝うから、私も一緒になって手伝うこともあった。
 将棋は相手の心理を読むようで面白かった。外見はぼやっとして周囲の人たちが馬鹿にする青年がいたが、将棋だけはめっぽう強く、勝てる者は誰もいなかった。あなどる相手に負けるのだから皆悔しがった。外見で人を判断してはいけないと言われていたし、いったいなにを基準に人を見るのだろうかと苦慮した。

●度胸試し
 日が暮れてから子どもが外で遊ぶことは滅多にない。外灯はないから明るさは自然のままだ。闇夜は本当に真っ暗だ。「一寸先は闇」と言うが正にその通りだ。
 月夜はそれなりに明るく、冬は一面雪だから雪明かりが美しい。なんと素晴しい幻想的な景色だろう。
 夜に遊ぶときも、昼と同様に子どもの年令差はまちまちだが、年長者がガキ大将といった感じで面倒見がよかった。
 御盆のころには「度胸試し」なる遊びがあった。これは一人で、ある物をお墓の決められた石碑などに置いてくるのである。お墓というのが恐いが、先の夜道ほどではない。なぜなら月夜であったし、距離はさほど長くはない。それに背後にはみんながガヤガヤしている。
 私の番になって、石かなにかを渡された。お墓に近付くとさすがに恐い。恐る恐る石碑に寄ると、破れかけた提灯が激しく動いた。これには仰天した。
 恐さで慌てふためき這うようにして戻った。泥だらけの私を見て、ただ事ではないとみんな驚いた。しどろもどろにわけを話すと、みんなで行くことになった。一人残されるのも恐いので私も付いて行った。
 みんな恐そうだが、さすが大勢だと気も大きくなる。先頭のガキ大将が声を殺して「どこだ」と振り返った。そのときまたしても提灯が大きく揺れた。何人かがそれを見るや、奇声を発して一目散に引き返した。見なかった者も連られた。
 拠点といっても狭い農道だが、そこに戻るとみんな興奮していた。だれか大人を呼んでこようということになった。
 腕組みして「意気地なしメ」といわんばかりにニコニコしながら近所の青年がやってきた。青年はみんなが一緒に行くと思ったらしい。しかしだれも行く気がないとわかると怖じけついてきた。「オラ一人だば、どこだかわからねーべ」そんなことはない、昼間は近道でみんな通るところだ。
 またしてもみんなで行くことになった。こうなったら仕方がない、私は覚悟を決めて先頭に立った。みんな一緒なら恐さも薄れる。
 提灯はかすかに揺れていたが風のせいではない。このときは逃げずに、恐る恐る遠巻きに見ていた。私はそっと近付いて見た。長い枝で突くとカエルが飛び出してきた。いつのまにか枝を手にしていたのだ。
 カエルにほんろうされたのだが、理由がわかればどうということはない。けれどもお墓は恐かった。そうした雰囲気がじつによくかもし出されていた。
 お墓と言えば、リンが燃えるのを見たという話をよく聞いたが私は見たことがない。
 人魂?と呼ばれるのはほんの一瞬見た。四・五人でゆっくり路を歩いているとき、誰かが「あっ人魂だ!」と叫んだ。指差す方角にかすかに橙色した白っぽい玉が尾を引くように見えたがすぐに消えた。雲のようなぼんやりとした、はっきりした物体ではなかった。
 「狐の嫁入り」と呼ばれる提灯行列のような現象は幾度となく見たが原因はわからない。これは一瞬ではなく、数分から数十分にわたって、また遠方なら見る方角をかなり変えてもはっきり見える。数百メートル先にあたかも実体が存在するかのようだ。けれどもその方向に向かうと消滅してしまう。近付くと見える方角が狭まるのだろうか。

●スキー
 二年目の冬にスキーをはじめた。杖(ストック)で胸を突いてスキーができなくなったという青年から貰ったように思う。長さは五尺五寸で私の身長からして丁度よかった。腕を伸ばして指先が先端にかかるくらいがよいと聞いていたが、それに合致したのだ。
 金具のベルトなど不足する部品は角館で買ったが、このとき村から出たのがはじめてだった。角館は町と聞いていたが、路は雪と泥が混じり村よりも泥まみれになった。人家が密集すると汚れるのは現代と同様だ。
 スキーのおもしろさは格別でみるみる上達した。野山を駆け巡り、行動のバランスが本能的に身に付いていたからだろう。どうしよもないほどおもしろくて毎日夕暮れまで遊んだ。緩やかな斜面でも距離が長いとぐんぐん加速することもわかった。
 スキーで遊ぶ大人は見たことがないから、子どもだけの遊びと思っていた。むろん滑って遊ぶのだが、歩行具として有益だった。雪が積もれば自由に行動できないがスキーなら可能だ。こうして何処でも自由に行動できるのは痛快だった。雪のない季節に地形を知っているから比較的安心して行動できる。雪面で地形を判断することもできるのだ。それでも不安なら棒で突いて確かめる。安全のためにそれくらいは常識だった。
 スキー場から逸れてツアーとやらで事故があるが、私にはとても恐ろしくてできない。小川や窪みは雪が積もれば薮などでトンネル状になる。そこへ落ちたら這い上がることができないこともあるのだ。小川といえども侮れない、極度な冷たさは感覚を麻痺する。
 ころ合いの傾斜を滑り降りたら全視界が雪だけのこともある。擂り鉢状の底に入ったのだ。跡をたどって登ればよいが、滑り降りるときよりも重みがかかるから、ぶすぶすといたるところで落ち込む。まるで蟻地獄だ。
 こうした経験をくり返して自然の恐ろしさを知るのだが、幸い大事にいたることがなかったのは、やはり自然に対して無知ではなく慎重であったからだろう。
 上達するとより高度なスキーをしたくなるのは当然だ。人里の斜面くらいでは満足できなくなって山へ行くようになった。むろん当時はゲレンデもリフトもなく、頼りは脚しかない。頃合の斜面にくると横に登りながら雪面を踏み固める。何処でも行動するときは無意識ながら安全を確認しているが、こうした神経は本能的に自然に身に付いている。とくに雪面は境目がよくわからないし、急に止まることができないから慎重だ。
 遊んでいるのは同行の武雄君と二人だけだ。夢中で遊んでいたら夕暮れになってしまったが、帰りは下りだから早い。それでも人里に着いたときは雪明りだけになってしまった。
 武雄君と別れる路に達したとき、彼は「眠いからここで寝る」と言って雪の上に倒れてしまった。雪中でも疲労すると眠くなり、しかもとても気持ちがよいという。それを知っていたから無理矢理起こし、家はもうすぐだから元気出せとかなり強く迫った。
 翌日学校で聞いたら、どのようにして帰ったかわからないと言っていた。一九九九年に同窓会で彼と会ったが、当時のことをよく覚えていた。「あのとき強く促されてありがとう」と返ってきた。たしか五年生くらいの時だと思うが、五十数年ぶりの、じつに美しい思い出になった。
 熱中するのは楽しいからであるが、スキーはどうしてこんなに面白いのだろう。それは転ばないように、滑降に耐えるからだと考えたら、自分と戦うことだとわかった。だからよりスピードを求めて挑むのだ。スポーツには勝敗がある。けれどもスキーの遊びにそれはない。そのかわり自分との戦いがあり、それが面白いのだ。
 「理屈じゃない」とよく言われたが、それは屁理屈だったのかも知れない。だから理屈が理解できるほどに頭が明快になるのだ。自分が変わるようであった。自分の意思で言動することに自信がついてくる。

 自分勝手の振舞いに「誰にも迷惑かけていない」と言う。それは自己を粗末にしていることに気付かず、正々堂々としていると勘違いしている。こうした国民性なら国家もそういうことになる。

 悪さを覚えた。だからといって弁解するのではなく、子どもが悪さをするのは、これも人間として成長する過程のひとつではないかと思う。
 悪さは人を困らせるほど愉快だ。さらに真剣に逃げるのが、これまた面白いのだからどうしようもない。それには現行犯でなければならないからスリルがあって、また知恵比べにもなる。こうしたなかにも善悪や秩序を学ぶから、悪戯も捨てたものではない。東京ではよく落書きで怒られて逃げた。発覚するように悪さをするからタチが悪く、逃げるほどに痛快だった。追いかける方も加減を心得ており、遊技のようであった。
 思うに「鬼ごっこ」や「かくれんぼ」はこうした感性なのだろうが、十才も過ぎるころになると、これでは子どもじみて面白くない。なぜなら演技じみて作為の感じがするからだ。やはり真剣でないと面白くない。
 
 仲間数人で隣村を通りかかったとき、林の一部を切り開いたごく小規模なリンゴ畑があった。リンゴがたくさん生っているので、珍しさもあって見ていた。ところどころに虫除けの袋が被せてある。
 すると棒を持ったオヤジが出てきたので逃げようとする者がいたが、なにもしていないのに逃げたら疑われる。そう思っていると案の定オヤジは、おまえらが盗んでいるんだろうと怒るのだ。ボクたちは手ぶらだから、そのときは盗んでいないのは確かだが、よく盗まれるので疑いをかけられたのだ。
 ぶつぶついいながらオヤジは家の方へ向かった。けれどもボクたちは腹の虫がおさまらないのか、オヤジの背中を見つめていた。オヤジが振り向くと、まだ立ち去らないので追い払おうとした。さすがに怖くなって逃げたが、足の速さでは負けない。オヤジはすぐに引き返した。
 このときどういうわけか、立ち去りがたい感じがした。仲間の一人が盗んでやろうという。それは疑われたことへの仕返しなのだが、たいへんなことになったと思った。かすかに体の震えを感じて恐ろしくなった。これから起るであろうことを体が感知したのだろう。
 この場はなにごともなく収まったが、ただ見ているだけで疑われることを知った。そういえば「人を見たら泥棒と思え」ということわざがあった。でも自分たちに疑いがかけられるとは思いもよらなかった。ことわざは母にもよく聞かされていたが、先人は人の心理をまこと見事に見抜いていたと思う。
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