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道具は錆びたり折れたりした鋸とナイフだ。
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飛行機
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戦艦
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潜水艦
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戦後の翌年ころか父は村に家を建てた。永住するつもりなのか臨時なのかは定かでないが、家族は反対していたから独断していたのだろう。けれども東京の復興につれ、家族は段階的に引き上げたので、結局その家は五年ほど住んで近所の農家に譲った。農家は自宅の敷地に移築したそうだから、解体できる伝統的な工法で作られていたのだ。私は東京の学校再開を待って、中学から引き上げたので三年くらいこの家で生活した。
建築現場は同居させていただいた農家の近くであったから、学校の帰りや日曜日、夏休みには入り浸っていた。そこへゆくのが楽しみであった。材料の加工をするとき端を押さえていたり、移動の手伝いをしながら、大工さんのお話を聞いた。また不要な木っ端をもらって工作の材料にした。これらを見ていると想像が膨らみ宝物のようであった。
水車は二枚の板を直角に組み合わせ、軸は両端に長めの釘を打った。軸受けは二股の小枝だ。小川に設置したら回り方が歪なのは軸のせいだとわかり、細い竹を四っつに裂いて軸にしたら滑らかになった。自分で成し遂げた喜びがあった。
これまで東京ではゴム動力のヒコーキや竹馬、粘土細工、折り紙などいろいろ作った。けれども水車はそれにも増して嬉しかった。水の流れを利用するところが新鮮だった。水路もいろいろ工夫して流れを変えた。水車も形を変えていろいろ試みた。水車の軸に糸巻を付けて動力を伝達した。考えることが楽しくなった。作りたいものがたくさん想像できた。木っ端を積み上げるだけで戦艦や城のようになる。これも東京で遊んだ既成の積み木よりもおもしろかった。
建築現場ではすべてが興味津々であった。地ならしから家の土台作り、そして屋根葺きまで、作業の過程を一貫して見たのだから、書物から得た知識よりも格段に身に付いたという感じであった。学校が教科書と先生の講議による知識の記憶なら、こちらは実体に触れた習得だ。建物の部分名称や道具の名称や機能も自然に覚えてしまった。寸法の概念も同様だ。大人に劣るのは体力と経験不足による技術だけだ。
そして小学生といえども感知能力は鋭い。毎日のように数人の大工さんや作業員の仕事に接していると人柄や技量もわかってきた。いつも怒られている人は決まっていて不思議だった。たぶん失敗を繰り返すのだろう。仕事の先々を見通している人とそうでない人もわかった。
休憩時間を惜しむかのように刃物を研ぐ人もいれば、極力楽をしようとしている人もいた。それは人の心を見たようで、なぜか恐ろしいような感じがした。私はいつのまにか人を見るようになり接し方が違っていた。それは相手の仕事ぶりや人柄を察知していたからだろう。一日の仕事が終わり、翌日の仕事の段取りをする人もいた。段取りは日常農家でもよく耳にしたし、建築現場は私自身の人間形成現場でもあった。
工事現場は現代のように建設機械や電動工具は皆無だ。すべては人力による手作業で、それがかえって作業をよりよく理解できたといえる。
地ならしは雑草を刈って地肌にし、地面の柔らかいところは直径一尺、長さ三尺くらいの丸太を地面に打ち下ろして固める。そして杭を立てて縄を張る。小屋を建てるわけではあるまいし、粗末に見えたがこれは仮であることが後にわかった。
それから巻尺で詳細に寸法を計って、杭の位置を調整する。手押し車やもっこで土台を乗せる石が運ばれた。石の位置はより強固に地面を固める。
ゴムホースにヤカンで水を注いでいるのは遊んでいるかのようだった。両端の口の水位で土台の水平を求める。これは凄いことを覚えたと興奮した。本で見ていた古代?の方法は溝を巡らせて水を張っていたが、それよりも無駄な工程がない。
古代人はホースがないから仕方ないが、それにしても知恵の働きには驚嘆した。現代のように精密な測定具がなくても知恵と工夫で目的は果たせるのだ。もし仮に自分の手で家を建てるとしたら、いや塀でもなんでもいい、これを実践してみたいと思う。現代は透明なビニールホースがあるからより測定しやすいだろう。
土台は堅くて重い丈夫な栗の木で、鉄道線路の枕木もそうだと言う。こうして現場で、現物を見て触れて聞いた話は忘れることがない。木材は大雑把に製材してあるが加工と仕上げはすべて現場だ。土台は手斧で荒削りだが肌に触れないからこれでいいのだろう。
定規は巻尺や曲尺を用いるが、それらは加工部分の詳細を割り出すときで、その他に三尺、一間、二間といった具合に、寸法を決めた細い角材が何本か用意してあった。これならあてがうだけだから計測が早い。柱など長い材料は墨壷で印す。墨壷はその原理からしてえらく感心した。ナイフのような形に削った木っ端を墨壷の墨につけて、鉛筆のように使う。鉛筆と言えば耳か鉢巻に挟んでいる大工さんもいた。
鋸で材料を切るときは、地面から一尺くらの高さで足で押さえる理由もわかった。この方が材料の向きを変えるのが万力よりも早い。それに上体が下向きになるから、踏ん張る力が反作用して材料を押さえる力がより強く、鋸を挽く力も強くなるのである。
ノミを使うときは材料に腰掛ける。それは楽をしているのかと思ったら、自分の体重で材料を押さえているのだった。私もここ二十数年木工作に親しんでいるが、材料は完全に固定するよりも、足やお尻の方がクッションの役目をする。これは刃物に対して無理な力がかかったときに逃がす効果があることがわかった。理屈がわると合理的で感心することしきりだ。
鉋では仕上げ段階になると透けて見えるくらいに薄く削る。これにもびっくりした。削る音がおもしろく、鉋の台からヒュルヒュルヒュルと掃き出されるのは生き物のようだ。 音でも切削具合がわかるという。そういえば列車が駅に停車すると台車をハンマーで叩いて歩く人がいた。これはヒビ割れなどがないか音で打診していると聞いたことがある。音で風の強さがわかるし、梢の揺れ具合でも同様だ。人体は鍛えると測定器にもなるのだ。経験と感というやつだ。五感を鍛えるほどに自身の能力が向上するのだ。
木材は香りがあるが、鉋屑はよりいい香りがした。これも工作の材料には恰好であった。一本の削屑は巻癖がついているので、ずらして巻くと長い筒になった。これだけでもおもしろかった。
材料が短ければ巧妙に接ぎ足して長くする。接いでも一旦外してみるのは解体を考慮していたのだ。だから土台、柱、梁などの骨格には釘を一切用いない。要所に木の楔を打ち込むくらいだ。現代社会に、このように後々を考慮した仕事があるだろうか。
大きな農家の柱はとてつもなく太くて八寸から一尺、抱きかかえるくらいの八角柱もあった。そして一間が九尺。私の家の柱は五寸角で一間が六尺だった。そうしたことから一般的に柱は五寸角と心得ていたが、戦後東京で建てた家は三寸角なので貧弱に感じた。
雪の重みは屋根の雪下ろしや雪掻きで知っていたから、屋根全体に積もった雪の重みは想像もできない重さだ。一晩に三尺も積もることがあるからそれなりの構造が必要なのがよくわかる。実際雪の重みで潰れた小屋はよく見られたし、家が軋む音を聞いたこともある。そんなときは雪の重みに耐えてがんばっているんだなと思った。また乾燥によって木が割れる音にも驚いた。家は生き物のようであった。
普段は大工さんは十人に満たないが組み立てるときは数十人だ。近所の農家の人もいた。梁を持ち上げるにもすべて人力だから、かけ声とともにロープで上から引いたり、下から数人で押し上げたりする。木材はすべて互いに組み合わせるから手順があった。
こうして形になってゆく様子はじつに楽しく、またおもしろかった。右往左往していろいろな角度から観察した。
大工さんが帰った後に登ってみた。足場があるし折れる心配はないから木登りよりも楽だった。梁を揺すってみたがビクともしない。
下から母の笑い声がした。いつのまにか私の行動を見ていたのだ。私は夕日で眩しかったが母は日陰で暗かった。
降りると、猿みたいだと言ってまた笑った。そして人の話を聞くとき、
「無闇に笑うんじゃないよ」
と促された。大工さんのお話を聞いているとき笑っていたらしい。そういえば、なにがおかしいのか意味ありげに笑う人がいて、私は極度に軽蔑していた。なぜか大嫌いだった。下等な人間に思えた。それは理屈ではなく感知していたのだろう。自分で気付かないことを他人はどう見ているか、これは意外だった。でもそんなことはすぐに忘れて勝手に振舞いよく注意された。
そのころ「男らしさ」ということを聞かされたが、そう言えば女性は本当に女性らしかった。男らしさを聞かされてわかったのだ。
大量の茅が馬車で運ばれた。屋根はかなり急勾配で、骨組みの上にさらに木の枝を無数にみご縄で縛り付ける。茅葺き工事はこれまた大勢で、絶え間ない声は屋根全体から響き、下から見ていると巣の回りに群がる蜂のようであった。
茅の束に縄を巻いて内側にいる人に縄の先端を棒で押し込んで渡す。内側からそれを受け取り、締め付けながら屋根の骨格に縛り付けるから二人一組だ。何度か重ねてゆくから互いに相手が見えなくなる。すると声と手探りの作業になる。茅葺きの厚みは二尺くらいだろうか。茅の括り付けが終わると表面を平に刈り揃えるが、これは床屋を連想した。
茅葺きの工事を見ていると火に弱いことがありありだ、燃えやすい材料であることはむろん、焚火で内側を空洞にすると燃えやすいがそれとそっくりだからだ。屋根裏の大きな蜂の巣を焼くために火をつけ、自分の家も焼いてしまったという話を聞いたことがある。笑い話のようであったが、そんなことを大人でもわからないのかと思った。
玄関と縁側の屋根はトントン葺きと言った、その上に杉の皮で被う。
遊びが人生の縮図なら、こちらはさらに道理や人間関係をも学ぶことができた。いや、このように分類してはいけない。生活がすべてと言っていい。
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