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 秋になると日が短く、夕焼けは一日の終わりを告げるかのようだ。まさに『夕焼け小焼け』の世界であった。寒さも身にしみて日一日と増してくる。当然のことを認識できるようになったのだ。外で遊ぶ時間が短くなり、農耕作業も季節に対応して変化する。季節と共に生活があり、自然と共存する実体も学ぶことができた。東京ではこうした感情は皆無だった。やはりその環境で生活しないと実感しないことがよくわかる。

 雪がちらつくようになると、とろけるように熟した柿がとても甘くておいしかった。夏に噛ってみたときはとても渋くて食べられなかったが、その渋が甘味にかわるのだと聞いた。トマトやマウリ(真桑瓜)も熟さないと食べられないことを知った。

 季節とともに大きさと色が変化してゆく。日常こうした成長過程を見ていると、人もそうなんだと思った。熟して香りが漂い、とくに赤い実は「ここだよ」と誇示しているかのようだ。なめてみたり臭覚で判断することも覚えた。「なんでも匂いを嗅ぐんだね」といって母によく笑われた。

 野菜は香りと味がなければならない。そんな当り前のことがそうではなくなり、いつのころからか無味乾燥になってしまった。農作物というより工業製品のようだ。旬に関係なくいつでもあるのはそうだろう。そして外見を重視するところは人の場合とまったく同様だ。外見よりも本質が重要なのがわかっていない。

 あらゆる生物が誕生し成長するということ、生きるということがよくわかる。それらがわかるほどに大人はたいへんで、自分もそうなれるんだろうかと思った。いつまでも子どもがいいなと思った。
 四季のうつろいは美しく、ときには過酷でありながら、あらゆる生物を育んでいた。自然なくして生存はあり得ないこともわかった。

 終戦後の東京はどうなっているのか、ときおり思い出すが、ラジオから『リンゴの唄』が聞こえるようになると、なにか明るく希望がみえるようになった。

 やがて疎開してきたときと同じように、あたりは一面雪に被われ、池の水も凍った。
長信田村にきて一年になろうとしている。

 この一年は長かった。これまでの人生において最も長かった。
 東京から秋田へ。環境の変化は凄まじく、そして興味の対象があまりにも多く、毎日が楽しかった。それは日々新鮮であったからだ。
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