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稲作・薪木流し











 中学から東京に引き上げたが、当時は戦災の跡が生々しかった。娯楽といえば映画くらいであった。それまで鎖国状態であったから外国の事情を知るすべもない。そんなわけで映画は外国の状況を知り得る情報源であった。ストーリーよりも街や家庭、景色。あるいは西部劇、歴史物などなど、スクリーンの隅々まで点検していた。内容はどうあれ、そこから文化・文明がひしひしと伝わってきた。

 中学生から高校時代は映画の刺激が強烈だった。『自転車泥棒』『ドイツ零年』『靴みがき』などは同じ敗戦国の状況がよくわかった。『禁じられた遊び』は紙一重で自分の運命と重なった。

 そうした中でイタリア映画の『にがい米』(1952)は秋田を連想した。田植えの季節になると、モンディーナと呼ばれる田植え女が大挙して、トリノからポー河流域の水田地帯に出稼ぎに行くのである。日本で出稼ぎといえば、農村の男性が都市にゆくのが常套であるが、イタリアのそれは逆であった。同時に、これは日本にも通用したらいいと思った。

 なぜなら、田植と稲刈りは稲作で最も忙しい時期だから人手はいくらでも欲しい。それに都会から若い女性が大挙して押し寄せれば、農村離れする男性も少なくなると思うのであった。
 田植と稲刈りは、短期間で作業しなければならないから最も忙しい時期である。疎開していた小学生当時は「結いっこ」といって、近所が総出で交互に田んぼの作業をしていた。それから数年後には集団意識が欠け「結いっこ」の制度はなくなったという。

 ところで「結いっこ」だが、本来は「結い」だが、秋田では「こ」をつけることが多いので「結いっこ」になる。東京では「こ」をつけないと聞いた出稼ぎの方が、タバコ屋さんで、タバくださいと言った笑い話があるという。

 一粒一粒のお米がどのようにしてできるのか、まったく未知であったから謎解きでもはじまるかのように興奮した。大人の仕事は難しくて理解できないと思っていたが、それらは見たり手伝ったりするだけで自然に理解できたから一層面白かった。道理を知れば記憶しなくても身に付いてしまうのだ。
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