時代と共に世の製品は、コストダウンを計るようになった。ハッセルブラッドも例外ではなく、初期の面影を残すのはカメラボデイとフイルムマガジンくらいになった。「中を見たら買う気がしなくなりますよ」と、馴染みの修理師は言う。性能が低下したのではないが、なんとなく魅力が薄らいできた。けれども同種のカメラでは魅力あることに変わりはなかった。
カメラマンはハッセルブラッドを持つことが夢なので、仕事を手伝ってくれた連中に譲ったり、売買が比較的多いカメラであった。購入は
日本工房*に近い神田小川町の「宮崎カメラ店」であったが、当初は購入機材が特殊であったため、またシュリロ貿易や日本プロフォートの前身である敷島写真要品の特需課時代から顔見知りなのでよく顔をだしていた。
ある時仕事の帰りに、日本橋の「富士越カメラ店」の前を通りかかり、ちょっと覗いてみようかと助手と三人で入った。このお店はリンホフやライカ、それにハッセルブラッドも扱っていた。私はハッセルブラッドを常時3台は常備していたが、助手の一人にせがまれたこともあって「1台買おうか」などと話ながら見ていると、年輩の店員さんが近寄り「どうぞお持ちください」と言う。そう言われても持合わせがない旨伝えると「お金はいつでもいいですよ」と言う。これが商売上手なのかと感心しながら、結局持帰ることになった。代金は後日持参するので、カメラの受取りを名刺に書きましょうと申出ると、にっこりして「別にいいですよ」と言う。今どき見ず知らずの者に、こういう人もいるのかと驚いた。
初めてのお店なのでたいへん気になり、早急に代金を届けた。そして「いつもああいうことをするのですか」このように聞くと「そんなことありませんよ、長年商売をしていると、お客さんを見ればわかります」大きな損害になるかもしれないのに、人を見る目の精神構造には驚嘆した。
この春、富士越カメラ店の新橋店でライカ3f を買った。そのときこの話をすると、その方は現在カメラ関係の、アクセサリーメーカーにいらっしゃるそうだ。機会があればお会いしたいと思う。
-1993(産教セ)-