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Cameras
 リンホフはニコン、ハッセルブラッドと共に最も活用したカメラである。性能、精度はむろん美しさにおいて比類なきカメラであった。
 当時は大判サイズが要求され、そうでなければプロの仕事ではないような風潮があった。ただアオリを必要とする撮影では、機能的に大型カメラしかできなかった。
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美しいカメラ(日本カメラ誌/メカニズム時評)
 カメラにかぎらず優れた道具は美しい。カメラが光学機械というよりも、電子機器のごとくになって久しいが、そのカメラから美を感じることは少ない。これは形や材質だけが原因ではないようである。
 カメラは機能が第一だから、目的を果たせばそれでよい。けれども道具として使うたび喜びがなければ魅力がない。気分の問題かもしれないが、私にとっては重要な要素である。気分だけで行動するのは感心しないけれども、持つ喜び、使う喜びが撮影意欲を刺激するなら、道具として機能と共に最も重要なのである。
 道具と工具を定義するいとまはないが、電子カメラは工具のようでもある。道具は使い手の技術を要求し、その技術次第でいかようにも働く。ここが重要なところだ。工具は誰が用いても、基本的な知識があればそれなりに働くようである。
 電子カメラが機能的に優れているにもかかわらず、魅力がないのはカメラを完全に支配できない部分が要因のようである。また大きくて形も好ましくなく、電池がなくなれば機能しない不満もある。カメラ操作は単純ではないが、焦点調節と露光値の決定だけである。これだけの操作をカメラに依存するというのは、自ら撮影技術の向上を妨げるように思う。もちろんこうした機能によって、これまでの不可能を可能にした面は多々ある。こうしたテーマが主体なら有用だが、一般的にはどうだろう。
 人は体を使うことによって、能力の活性化をはかれるという。とくに手先には神経が集中しており、手を駆使することが重要なのである。にもかかわらず楽をしようとするのは、自分を粗末にすることにならないか。
 優れた道具は使い込むほどに仕事の本質を教えてくれる。カメラでいえば写真を教えてくれるのだ。そうした意味で最も印象に残るのはリンホフカラー4x5である。

 1959年12月、某社の写真部長氏から、シュリロに新型のリンホフが入ったから見に行かないかと誘われた。当時は内幸町の富国生命ビルの一階にあり、NHKの近所だった。
 そこで目にしたカメラは、なんて美しいカメラだ、説明を聞く耳もうわの空、ただただ美しさに魅了された。いわゆる一目惚れであった。こういうときには理屈をぬきに、あるいは無意識に感動しているようだ。
 まず色が明るいベージュなのに驚嘆した。がっしりしたパイプ状のモノレールは渋い銀色。レールに添った四つのノブはエンジ色でポイントになっている。
 それまでカメラの色といえば、黒い梨地と金属部分のクロームが常識であった。センチュリーやグラフィックビューは、グレーのボディや赤い蛇腹もあったが、それゆえの魅力というものはあまり感じなかった。リンホフも知るかぎりは黒であった。そんなわけで、ベージュ色のカメラを初めて目にしたのである。
 リンホフカラーが単に明るいベージュだから魅了されたのではない。優美な曲線や仕上げの美しさ、そしてなによりもスムースに働く各種の機能と堅牢さ。これらが素晴らしいカメラデザインとなって美を形成している。結果としてカメラに求める要素を満たしている。そして控えめな美しいロゴマーク。こんなところも気にいった。
 ビューカメラはボディだけでは機能しない。レンズやフィルムホルダー、それにもろもろのアクセサリーが必要である。これらも実に美しい。昨年パソコン通信の写真人電脳網で「シャッターやボードに刻印されたロゴや、誇らしげなバッジが写真のできを保証するかのようです」と言われた方がおりましたが、正にそのとおりであった。これほど気に入ったカメラにはアクセサリーも純正で揃えたい。とびきり高値であるが、そうしなければ意味がないようであった。
 当時の所得水準からすれば、一式揃えるのに年収を注ぎ込んでも足りなかった。それに私はカメラマンではなく、社会人になって間もない。稀に写真関連の仕事をした程度である。けれども写真趣味が高じていたから、欲しい気持ちを押さえることができなくなっていた。そしてこのカメラに将来をかけるくらいの意気込みに発展していった。
 今どきこんな話は笑われるかもしれない。しかし年収を注ぎ込むほどの意欲を喚起させるカメラだったのだ。そうこうするうち、嘱託をしていた日本工房*で大きな編集仕事が舞い込んだ。その取材のために会社で購入してもらった。そして私専用のごとく使うことができた。
 リンホフカラーは十年くらい愛用しただろうか。その後テヒニカスペシャル(6×9センチ判)やスーパーテヒニカ(4×5インチ判)を購入したので次第に疎遠となった。しかし今思えば写真を教えてくれたカメラであった。
 十数年前、銀座のスキヤカメラの前を通りかかったとき、めったにカメラ店をのぞくことがないのに、なぜか引き込まれた。そこに美しいリンホフカラーがあるではないか。アメリカから入ったばかりという。細部にわたり点検し即座に買ってしまった。そのとき、このカメラが必要か否かを考えもしなかった。
Linhof COLOR 45
Fujinar W 150mm
Ektachrome E-3
長崎グラバー邸1960。フイルムは極端に退色していたがAdobe Photoshopでここまで画像調整できた。
上)1963 / Nikon F
左)Linhof COLOR 45
Schneider-SYMMAR150mm
Ektachrome E-3
Adobe Photoshopで画像調整。
 1965年4月16日
 テヒニカが夕方届くという連絡に「ジャンジャンいじくりまわそう」と冗談まじりに、写真家の薗部澄先生他数名が待機していた。なかなか到着しないので少しいらだったが楽しい雑談で時が過ぎた。「遅くなってすいません」夜になってやっと届いた。二重にした大きな手さげ袋二つにみんなの目線が走った。一つ一つ慎重にテーブルに乗せてゆくのを一同ジィーッと見つめている。「これで全部です」と言ったとき、溜息まじりに一瞬シーンとなった。「おーっ、車の方が量あるぞ」薗部先生が笑って言う。わたしは苦笑いともなんともつかない表情になったような気がした。フィルターなどのアクセサリーも純正でないと気がすまないので費用もかかりますが、こうした趣味はどうしようもない。
 テヒニカの初仕事は青函連絡船の撮影となった。あえてテヒニカを持ち出す必要はないがとにかく早く使いたかった。一式携えて4月26日の夜行で出発した。撮影には不測の事態にそなえ、必ず予備のカメラを持参する習慣だ。このときはスピグラを加えた。そして薗部先生のご好意で助手の山崎隆君が同行してくれた。主な取材は、函館山を背景にして、出港する連絡船を撮影するのだが。「現在山には残雪があるがPR誌"R"の7月号に掲載するので、雪が入ってはならない」というまことに無茶な要望だ。
 21日の午後に函館着。函館機関区に挨拶してロケハン。その後市内を巡り函館山より市街の夜景を撮影。
22日。連絡船内の貨車の出入りを、屋根の上から撮影していたら、山崎君がなにやらゴソゴソやっている。「本多さん向こう見てください」三脚にスピグラが乗ってセルフタイマーが鳴っている。
 八甲田丸を地上から撮影。幸い函館山には雲がかかり、合間に見える残雪は雲と見間違うようでした。そして遠景なのでアウトフォーカスでごまかすことができた。松前丸の出港はランチで待機して海上から撮影。その後、フルスピードで追いながら撮影するが、水しぶきが気になる。なにしろ真新しいテヒニカだ。けれどもスピグラに変える暇がない。
 23日。八甲田丸の入港、および出港をランチで海上から撮影。以上で必要な写真はすべて撮影できたので、大沼公園へ足を延ばし、由緒ある湖月館に宿泊する。
 24日。八甲田丸で船内を撮影しながら青森へ。初めて船内の風呂に入る。

 スーパーテヒニカ4x5Vは7年間よく働き、また多くの楽しみや喜びを与えてくれた。けれども去る時が来た。山岳関係の取材をしている武藤昭氏が、どうしても譲って欲しいという。
 彼はほぼ5年間、仕事だけではなく遊びの手伝いは積極的にしてくれた。さらに間をおいてハッセルも欲しいときた。ハッセルの分はお金がないので助手代と相殺したが、これはずいぶん高い助手代についてしまった。
 いきなりリンホフとハッセルを手にした武藤氏に、「これを持ったからといって、とたんに写真が良くなるわけじゃないよ」みんなで大笑いしたがこれは間違いない。その後何台かのカメラを譲るときにもこう言う習慣になった。茶化したようだが写真が下手ならどんなカメラを使っても同じという風刺であった。そんなことは誰もがわかっているからおかしかった。こんなわけで2台目のテヒニカを突然買う羽目になった。
 ぼくの場合は、レンズ3本がオリジナルの距離計連動セットでないと意味がない。距離計連動セットというのは、レンズと距離計をつかさどるカムを含めていうのだが、レンズの焦点距離は、表示値が同じでも、実際には1本1本みな違う。少数点以下の微妙な値だが、テヒニカではこうした点をふまえて、レンズごとにカムの曲線を調整しているのだ。だからこの精度は比類ない。そしてこのカムの形状は、リンホフの工場に保管されており、レンズナンバーを伝えれば、まったく同一のカムを製作できるというのだ。カムは紛失の可能性もあるから、こうした事情に感動したり、また粋がっていた。ところがこのセットは、特にレンズが3本以上になると特注以外に入手できなかった。
 1972年6月23日。武藤昭氏に売却し、とにかく早急に今日にも欲しいので、日本プロフォートの小島氏に電話した。事前に頼んでおいたが、急でもありそう都合よくはゆかない。それに重大事態が持ち上がった。小島氏曰く「リンホフは最近外装が黒になりましたよ」えらいことになった。ぼくにとってリンホフはベージュ色でなくてはならない。ところがよくしたもので新製品の黒がでるとそちらが売れるのだ。ベージュは売れ残り、しかもジンマー135mm1本だが連動セットがあるという。135mmはプラナーを持っているので躊躇したが、そんなことをいっている場合ではない。一刻も早く手にしたいのでプロフォートに向かった。おりしも社員旅行に出かける寸前で、代金を支払いたい旨申し出ると、吉田常務が「今払うの?困るなぁ、これから旅行に出かけるんだよ」いつもそういってくれればいいのにと思ったが、とにかくブツブツいいながら受けとり社長に渡していました。社長はこちらを見ながら、しょうがないヤツと思ったかどうかは知らないが、内ポケットに入れていた。
 武藤氏に譲渡したテヒニカは、およそ10年後に彼の手を離れたようだ。彼とは稀に会うが手放したことが気になるのか、ぼくにはそのことに触れたことはない。ところが山と渓谷誌の取材で、ある登山家を訪ねたときに伺った。山小屋で武藤氏がテヒニカの売却話をしていたという。相手はオカダさんという方で「あるとき払いの催促なし」とかいっていたそうだ。意外なところであのテヒニカの行方を知ることになった。オカダさんに渡ったあのテヒニカはその後どうしているのだろう。
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使い手のメカニズム(日本カメラ誌)
 あらためるまでもないがカメラは道具である。そして道具は目的達成の手段として使うものである。したがってカメラの研究も必要だが、使う人間のほうがもっと重要なのである。
 カメラ談義は楽しい。けれどもこれだけではいつまでたっても進歩はない。趣味といえばそれまでかもしれないが、それよりも愛用のカメラで、よい作品をものにした喜びは無上である。念願のカメラを手にした喜びは当座だけであるが、作品を作る喜びは際限ない。またいかに優れたカメラでも、操作が的確なだけでは作品は生まれない。銘機と呼ばれるカメラも使い手次第なのである。

 あたり前のことを、いまさらなにをいうかと叱られそうだが、カメラ好きであるがゆえに反省しているのである。
 写真を趣味として、撮影は実に楽しい。およそ人の喜びは、意思が反映した結果にあるからだ。そうした意味でも、もっと真剣に、本気になって自己の能力向上に邁進すべきである。そうすれば自ずと適したカメラも決まってくる。カメラであれこれ迷うこともなくなる。
 それには自分を信じ、カメラのメカニズムを云々するように、頭脳のメカニズムを活性化するのである。そのために、カメラは惜しみなく協力してくれるであろう。協力してくれないカメラなら決別すればいい。適したカメラが決まってくるというのはこのことである。
 カメラを向ける動機は様々である。こうしたなかで、風光明媚とか珍しいとか、あるいは可愛いとかキレイとかいった類は、対象の外面的な魅力に依存している。
だから撮るのだ。写真とはそういうものだ、という考えもある。しかしそれなら、こうした対象を探したり設定するのが写真ということになる。
 これも一つの分野であり、どう表現するかという問題もある。ここが必要なのであるが、ひとまずおいて、こうした対象でなければ興味がないとすれば、それは他力本願なのである。ここには内なる美意識や真理が欠けている。極端ないい方だがそれくらいに考えていい。
 そこで素材に、とりたてて魅力がないモノを選んでみたらどうだろう。つまりなんら変哲もないモノを。鉛筆でも帽子でも、空箱でもなんでもいい。あまり上等なモノは、その雰囲気や興味にまどわされてしまう。したがってありきたりがかえっていい。またこれならいつでも自宅でできるし金もかからない。
 そんなものを撮っても仕方がないと思わずに、これをどう表現するか、思考を試みるのである。それでも意味がないとか、別になにもないとすれば、それはそのようにしか感じていないわけで、実際にはなにもなくはないのである。
 現実に目の前にはモノがある。形があるし光もある。モノの意味に左右されず、形や光を撮ると考えてもいい。さらにモノの位置や向き、それに視点を変えて見るのはいうまでもない。
 モノはある状態で雰囲気や意味をもっている。グラスがあるとすれば、飲料が入っている、口紅がついている、倒れている、花が生けてある。などなどである。鉛筆は筆立てにあるとはかぎらない。筆立てにあったとしても、そのあり様は千差万別である。書きかけて、急に席を立つこともある。耳に挟むこともあるだろう。こうしたたとえはキリがないし、実験によって発見できるのである。
 さらに光線状態や周りの状況も関係してくる。そしてこれらは受け手の感情によるのだから、こうした実験の繰り返しによって、なにかが見えてくる。なにかがとは曖昧だが、それはモノの見方や受けとめ方、そして表現力が。つまり感性の幅が広がるということなのだ。こうなれば、概念的なモノのもつ意味から脱皮した表現も期待できよう。
 こうした思考の鍛錬は、未知の世界を切り開く作業である。したがって素直で純粋にならなければいけない。これまでの概念や知識に頼ると、いつまでたっても自己の世界に留まるだけである。教養が邪魔をするとはこのことをいう。幸い私は教養がたりないが、それでも邪魔をしてしまう。
 こうした積み重ねによって、漠然とカメラを向けることはなくなるだろう。つまり対象に向かったとき、多様な見方ができるようになる。そして応用や工夫につながり、イメージの世界が拡大し、写真がより楽しくなるのである。
私の愛用レンズ スーパーアンギュロン75mm F8ほか(日本カメラ誌)
 私の愛用レンズといえば、なにか特定のレンズを指すことになるが、その時どき、あるいは撮影目的によってレンズを使い分けるので、これといった特定のレンズはない。
 かつては大型レンズで周辺が流れるとか、湾曲するといったレンズもあって、それらを避けることにかなり気を使ったものである。現在ではそうしたレンズはないし、レンズの味云ぬんもさほど問題にしていない。そうした意味で、いわばなんでもいいといった感がある。道具として性能に問題なければ、あとはそのデザインを重要視している。道具は楽しく使いたいからだ。
 インテリアとかディスプレイ、あるいは見本市会場の設計とかデザインに携わっていたころは、これらの撮影が頻繁であった。これにはスーパーアンギュロン75mm F8 を多用した。理由は機材の少量化と撮影の迅速性を図るためである。このレンズはテヒニカに格納できたし、距離計とビューファインダーで撮影できた。
 たとえば新しく開店した百貨店の全容を撮るには、最も撮影の迅速性が要求された。全照明が点灯されるのは開店十分前だし、開店すればお客さんが入ってくる。その少ない十分間といえども、売り場によっては準備に忙しい。もちろん、やむをえない場合は早目か閉店後に点灯して撮影する。
 こうして数十日かけて撮影するのであるが、意外に時間を活用できた。なぜなら、決まって十時半か十一時には終了したからだ。したがって午後からは計画的に予定を組むことができた。
 次に多用するレンズといえば、ハッセル用のSプラナー120mm F5.6がある。一般的にはこのレンズ一本でまかなうことが多い。補助器具を用いないで近接撮影できるのも、撮影の迅速性に優れている。
 極端に迅速性を強調したようだが、これは機材に関して、操作に神経をあまり使いたくないからである。撮影では、できるだけ対象を注視したい。よって、機材の少量化と簡素化を心がけている。

 35mmカメラは、ニコン、ペンタックス、ライカを使っている。けれども、これらをフルに活用することはめったにない。

 一時はビゾフレックスにエルマーやエルマリートを。またこれらのレンズを一眼レフに使えるようにしたが、いずれも放置したままだ。やはり簡素化と撮影の迅速性に起因しているようである。

 ライカのレンズではズミルックス50mmが好きである。イマゴンは三十年も前から持っているが、これまで数回しか使っていない。多彩なソフト効果を得られるだけに、使い方も難しい。絞りの調節だけでなく、ライティングが効果に影響してくる。うまく使いこなせるようになって、イマゴンを愛用レンズと呼びたい。

 作例で使用したフジカST801やペンタックスSPなどは、最新のカメラを見るにつけ実に素晴しいと思う。
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