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Cameras
Pearlette
最初のカメラ
発売当時の説明書
コニカに問い合わせたら、コピーして送ってくれた。
 中学2年生(1950・昭和25年)のころ近所の友人からパーレットを譲り受けた。その後スタート35 を買ったが満足できるものではなかった。そのころローライ、ライカは言うに及ばず、ニコン、キャノンも平均的な大人の年収を上回るのであった。カメラブームの到来でカメラ雑誌も各種創刊され、比較的安価なリコーフレックスが華やかにデビューした。それでも当時の大人の月給に匹敵した。
  高校生になると中古のエルモフレックスを使う機会があり、2年生になった春にオリンパス35を買った。むろんスネカジリだから容易に買えたわけではない。値段は1万5千円くいだったが、親に内緒で月々3千円の小使いから一年月賦で契約した。ところがカメラ店は相手が高校生なので自宅に届けてきたのだ。そこでバレてしまったのだが、それが良かった。月賦はいけないと言って全額払ってくれた。
 オリンパス35は思いのほかよく撮れて、写真が面白くなってきた。そこで距離計連動機がどうしても欲しくなりねだった。半年ほど前にオリンパス35を買ったばかりだが、理屈を並べて要求した。
 そこでコニカ1型、電気露出計、現像タンク、引伸機など暗室用品を揃えた。キャノン2Dが欲しかったが、関連機器も必要なので妥協した。それに感材など日常の消耗品を考慮しなければならなかった。
 このころゼンザブロニカが世界最高のカメラと銘打って、華々しくデビューした。発表会場の日本橋三越に行ったが凄い人出であった。
油壺遠足
東海汽船菊丸船上
-1950-
 高校二年生までは神保町の太陽堂カメラ店でDPEを依頼していた。
 三年生になって自分で処理するようになっても、感材など入用だから馴染みだった。けれどもネガカバーだけは、銀座双美商会製を使っていた。数年後に気が付くと、店は廃業したのかなくなっていた。
 戦後の娯楽は外国映画ではじまった。中学生の私は外国事情を知る教科書であった。とくにイタリアンリアリズムは写真界にも影響し、極貧を撮ればリアリズムであった。
 カメラブームは撮影会が華やかであった。ブームはスプリングカメラからはじまり、次いで二眼レフレックス、35ミリ距離計連動機と移り変わった。流行ったと言っていいかもしれない。
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