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私は仕事で国鉄の取材をしていた時期があり、特急など新たな列車が登場すると撮影に向かうのである。列車の通過時刻に合わせて撮影場所を探すのだが、日に2本あっても一本は夜間だ。
一度のシャッターチャンスだから、カメラは予備も含めて最低2台は用意する。撮影はすべて地方だし、はじめての場所だから時間の余裕をもってセットする。
そして時間の余裕があれば、寝転んで空を眺めて待機するのだが、レールの音であわてて飛び起きると、三脚を倒してしまったりすることもあった。必ずしもダイヤ通りではなく、臨時や回送もある。天候も急変することがあるから、絞りやシャッタースピードの調整も迅速さが要求される。
列車の撮影で地方に出張するのは、まるで遊びに行くように思う向きもあったが、仕事は楽ではない。
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国鉄最後の仕事は、初めて登場した冷凍貨車の取材だった。夕方八戸を発車して途中塩釜で増結し、早朝築地まで一夜で新鮮な魚を運搬するというものだ。
当時、蒸汽機関車が次第に姿を消しつつあり、八戸付近での三重連運行日は大変な人出であるという。SLブームでファンになった人も多いが、蒸汽機関車の魅力は単にファンなどという生易しいものではない。泣きたくなるほど、言葉では表現できない感情が人を引付けてやまない。それは重厚な機械というだけではなく、姿、形、そして音が、まるで人間かのごとく、時には勇壮に、時には疲れ果て、精一杯頑張る様子に人は同情すら思いをはせるのである。こうした情景を初めて経験したのは昭和19年12月、秋田県に疎開する吹雪きの中であった。たしか山形を過ぎたころからだった。
「栄光の蒸汽機関車よ」永遠なれ。 青函連絡船
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