鉄道ファン
 線路端やホームで待機するカメラマンを見かけることがある。下の写真は午後一時半の通過に、場所取りのために一番乗りは朝5時から待機しているという。脚立まで持込む熱心さに、無関心な人からみれば笑うかもしれないが、これほどの情熱ある人は幸せだ。ファン心理とはそういうものだ。
 先台車の上、前方に延びたデッキのあるEF58はよかったなあ。走行中に駐留軍の兵士がそこに乗っているのを見ことがある。ぼくも乗りたいと思った。そのデッキはいつのまにかなくなっているんだね。どこかに保存されていないだろうか。
 2003年8月、偶然通りかかった横須賀駅で大勢の鉄道ファンを見かけた。デッキはないが、客車までチョコレート色なのは懐かしく、嬉しかった。
湘南電車 新幹線工事以前 -1962頃-
北海道松前にて
 私は仕事で国鉄の取材をしていた時期があり、特急など新たな列車が登場すると撮影に向かうのである。列車の通過時刻に合わせて撮影場所を探すのだが、日に2本あっても一本は夜間だ。
 一度のシャッターチャンスだから、カメラは予備も含めて最低2台は用意する。撮影はすべて地方だし、はじめての場所だから時間の余裕をもってセットする。
 そして時間の余裕があれば、寝転んで空を眺めて待機するのだが、レールの音であわてて飛び起きると、三脚を倒してしまったりすることもあった。必ずしもダイヤ通りではなく、臨時や回送もある。天候も急変することがあるから、絞りやシャッタースピードの調整も迅速さが要求される。
 列車の撮影で地方に出張するのは、まるで遊びに行くように思う向きもあったが、仕事は楽ではない。
 国鉄最後の仕事は、初めて登場した冷凍貨車の取材だった。夕方八戸を発車して途中塩釜で増結し、早朝築地まで一夜で新鮮な魚を運搬するというものだ。
 当時、蒸汽機関車が次第に姿を消しつつあり、八戸付近での三重連運行日は大変な人出であるという。SLブームでファンになった人も多いが、蒸汽機関車の魅力は単にファンなどという生易しいものではない。泣きたくなるほど、言葉では表現できない感情が人を引付けてやまない。それは重厚な機械というだけではなく、姿、形、そして音が、まるで人間かのごとく、時には勇壮に、時には疲れ果て、精一杯頑張る様子に人は同情すら思いをはせるのである。こうした情景を初めて経験したのは昭和19年12月、秋田県に疎開する吹雪きの中であった。たしか山形を過ぎたころからだった。
 「栄光の蒸汽機関車よ」永遠なれ。 青函連絡船
東海道新幹線1964
汽車製造
試運転中の東海道新幹線(関ヶ原付近)
東京駅・起点ゼロ
新幹線運転席
富士川鉄橋