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Travel
普段はカメラを持たない人でも、旅行ではカメラを持つ機会が多い。
しかしながら、遠くに出かけるだけが旅ではない。
広く考えれば近所でも、玄関を出たときから旅と考えてもいい。
そうした意味で、日常的な行動範囲も見つめたい。
カメラを文具として日常生活にも活かしたい。
奈良、串本、勝浦、那智
HASSELBLAD 500C Planar-80mm HASSELBLAD 500C Zonar-250mm
 1971年1月15日
 串本・大島へ海中展望台の取材に行く途中、奈良駅が近くなると車中がざわめいた。ちょうど若草山焼きの当日で、こうした機会はめったにない。そこで急遽下車した。すでにうす暗くなりかけており、どこも大勢の見物客で撮影場所が確保できない。いっそのこと離れようと考え、きょろきょろしながら歩いて行くと「写真を撮るんですか」と声をかけてくれた人がいる。そこは学校の入り口で、屋上へ案内してくれた。なんと幸運なのだろう、興福寺五重塔まで配置されている。
 屋上には見物客が少なく自由に場所を選ぶことができた。ところが、どこも金網が張り巡らされており、レンズを網目から出すより仕方がない。よって三脚も安定よく設置できない。
 まもなく火がついたらしく、あちこちで歓声があがった。すると頂上から裾野にかけて何箇所かに焚火のようにポツンポツンと炎が確認できた。いよいよだなとレリーズを手にしてシャッターチャンスに備えた。
 ところが炎は帯状になったまま移動し、燃えたところは消えてゆくのだ。それは写真で見てきた若草山焼きとはほど遠い景色であった。そうか「山全体が同時に炎に包まれることはないんだ」とっさに思いつきシャッターを開放状態にした。このときカメラを動かしては時間がかかる、手鏡を指先で網目から出してレンズに向け、露光数値の調節をした。懐中電灯も役立った。同行の助手は学生であったが「写真を撮るにはいろんな道具が要るんですね」と感心していた。
 これまで写真で見る若草山焼きは山全体が炎に包まれていた。これは帯状の火が移動する間露光したからだ。したがって現地では写真のように見ることはできない。即座に判断できたので無事に撮影することができた。
 その後夜行列車で串本に向かい、まだ暗い早朝に着いた。漁港に向かうと出漁前の漁師さんが数人焚火で暖をとっていた。そこへおじゃまし、暖をとらせてもらいながらいろいろなお話を聞くことができた。こうした経験はめったにできるものではない。別にどうということはないかもしれないが、未知の世界を知ることはとても有意義であった。
 持参したカメラ機材を見て、写真を撮りに来たのかと聞かれた。私はたしか橋杭岩がこの付近ではないかと思い出して尋ねた。「車ならすぐだよ」こういわれたのでタクシーを呼んでもらい急行した。おりしも東の空は薄明るくなりかけていた。
 道路から見下ろすかたちで、橋杭岩がぼんやり見えた。海岸へ下り、明るさで太陽の位置を想定しながらぬれた岩場を急いだ。日の出は逆光だから岩の形は当然シルエットになる。むろんそのつもりで撮影位置を探すのだが、岩の形がおもしろいところと太陽が昇りそうな位置が一致しない。さらにぬれた岩場は足下が危険だ。空はどんどん明るさを増してくる。あせりながら太陽の位置を想定し三脚を据えた。こうしたとき地球の自転の速さを痛感する。

 奈良で下車せずに串本温泉で一泊ヨイヨイしたならば、若草山焼と橋杭岩の日の出は撮れなかった。夜行で無理をしたが予期せぬ二つのテーマを撮影することができた。それには奈良で学校の屋上に案内してくださった女性教師、そして串本の漁師さんたちに負うところを忘れてはならない。

 その日の昼間は目的の海中展望台を取材し、那智勝浦に向かい宿泊した。翌朝海岸から日の出を撮影、朝食後に那智に向かい、滝を撮影して当日帰京した。強行であったが行動の楽しさと喜びが、そして効率よい仕事が爽やかであった。
HASSELBLAD 500C Zonar-250mm HASSELBLAD 500C Distagon-50mm
日本海冬景色 鎌倉冬景色
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