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冬の日本海
 昭和三十九年(1964)大晦日の深夜、上野から金沢行きの夜行列車に乗った。帰省客で混雑を覚悟していたが、飛込みなのに座れたのは幸運だった。
 いつもながら突然の旅で、このときは金沢から能登半島を巡り、山形県櫛引村で黒川能を取材している写真家の薗部先生と合流する予定になっていた。
 金沢では兼六園、武家屋敷、それから遠方になるが、今回の目的である米軍の演習場問題で闘争の舞台となった内灘を回った。
 ここではタクシーがとても高いのにびっくりしたが、先々の道路情況や季節によって違うという。雪のある冬なのでとくに高かったのだろう。そう言えば宿泊した旅館も高かった。主に関西方面だが、取材旅行は頻繁なので世間の相場は承知していたのだが。
 予想外の出費で能登半島は列車だけにした。半島は距離の割にいずこも時間がかかる。
 新潟では大地震の後だったので、横倒しになった団地を見に行った。まるでマッチ箱を倒したように転がっていた。
 新潟から酒田まで、列車は日本海に沿って往く。冬の日本海は暗く鉛のようだと聞いていたが、なるほどそうだった。まれに陽が射しても、雲の隙間からつかの間漏れるだけで、しかも雲の流れにつれて速度を変え、気紛れに移動してゆく。風景撮影でこれほど露光値が変化するのも珍しい。それに波頭は白いし、反射はまちまちだからやっかいだ。
 眺めていると、たしかクールベ(19世紀フランスの画家)の作品に、こんな海景があったのを思いだした。同時にこの景色は過去から未来も、永遠に変わらないのだろうと思った。
 画家は珍しいから描くのではのではない。写真家も同じだ。普段は主に依頼された写真しか撮っていなかったから、自問自答しながら海の表情を撮るしかない。けれども先を急ぐ旅ではそれなりなこともわかった。なにごとも時間という制限がある。
 酒田で薗部先生と合流し、日頃から自主制作を励まされていたので、どうだったかと聞かれて、このような話をしたことを思いだした。
日本海冬景色 鎌倉冬景色
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