郷愁の秋田より
 森林に入るだけで冒険だった。何処も同じように見えるから執え所がなく不安が漂う。未知の世界はそこに居るだけで動揺する。冷静になれると周囲を認識し多少安心する。けれども細心の注意を払わなければ進めない。目標や目印を見当つけながら一歩一歩前進する。常に振返りながら、戻れることを確認する。けれども位置が変ると、目標も目印も見失う。日照があれば、方角を確認できることがわかった。未知の世界で、私は原始人から出発したのだ。
 冒険小説は身の安全が確保されている想像の世界だった。けれども現実は安全の保証がない。よって神経を集中し慎重になるのだ。それは環境が五感を活性化してくれることであった。
 こうした自然環境では冒険心を喚起し挑んだ。枯枝が落ちる音や、不意に飛びたつ鳥にも動転して身構える、こうした姿勢に興奮していた。
 自然環境を一人で行動することは、人生の縮図でもあった。遊園地とはわけが違う。
 夏には大きな川原でよく遊んだ。水は絶間なく流れとてもきれいだ。貯水地や水道管を旅した蛇口の水とはわけが違う。雨になれば、みるみる増水することもわかった。
 洪水でなければ濁ることがあっても、すぐに流されてしまう。水を飲むのにコップは不要だ。手ですくったりフキの葉で容器を作ったり、茎を利用してストローを作り、川から直に吸上げるのは面白かった。水面に口をつけて飲むと、動物になったようで不思議な気分だった。
 水深や水流は場所によってさまざまだから、泳げても泳げなくても、適度な場所を選ぶことができる。
 浅ければ川の石を積み上げて堤防を築く。水中なら石も軽いことを知る。堤防によって深くなり、流れは緩やかになる。こうした工事は楽しく成し遂げる喜びがあった。
 泳ぐだけが目的なら水泳プールがいいかも知れない。けれども川原の遊びは無限の思考性を秘めていた。際限なく面白いのは自分の能力を試すことであった。体力や五感を鍛え、感性や思考力を促進してくれるのだ。
 人工都市は便利にできているが、自然環境はその逆だ。だから知恵が働き、見方や理解力を育成してくれるのだ。
●夕闇迫る林道
 林道は日中でも日がささないから夕方はなおさらだ。走ったり急ぎ足だが路はでこぼこなので、頻繁につまずいたり、窪みに足を取られて何度も転んだ。そんなときは四つん這いで這いながら立つといった具合だ。地面をなぞるように歩くと比較的転ばないが速度が極端に落ちる。棒を地面に軽く押付けて引きずりながら歩くと、転びそうなとき支えになることに気がついた。とにかく恐くて止まることができない。ぞうりなのでペタペタとかバサバサといった足音がする。
 人が後ろから追いかけてくるような気がする。一歩一歩前進しているのに一向に進まない感じがした。疲れてゆっくり歩くと足音も同調する。恐くて振り向くこともできない。こういうときにかぎってか、静寂そのもので無気味だ。風があればそれなりに恐いだろう。かすかな風でも枝や葉音が無気味なことがある。それがこうした情況ならお化け屋敷だ。かすかにぼんやり見える樹木は化け物が潜んでいるかのようだ。お化けとか幽霊が出そうな幻覚に襲われる。恐怖が全身を包み暗闇に吸い込まれそうだ。
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