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 一般論として、どんなに素晴らしい案が出来たとしても、単に頭で考えているだけではなんにもならない。また、人はだれでも似たようなことを考えているものだ。これらは実現しなければ無に等しい。
 工作もまったく同様で、具体的な形にしなければ意味がない。これは加工技術によって実現する。工作といえば加工技術を差すほどであるが、本書では形に主眼を置いている。よって道具の種類や使い方について特別項目を設けていない。しかし本文中の製作工程で簡単に示している。したがって、どれかを参考に工作する場合でも、ひと通り目を通していただきたい。
 加工技術でも最も重要なことは、道具の使い勝手である。これがなければ、どんなによい道具を使っても正しく加工することは出来ない。道具はすべて力まかせに使うものではまく、感触などをつかみながら加減しなければならない。加減の連続といってよい。
 どんなに優れた道具でも、特に刃物は使えば徐々に切れ味が悪くなる。そうした場合、手入れをしなければならない。刃物に限らず、道具はすべて手入れをし、いつもピカピカにしておこう。道具の手入れが楽しくなれば、しめたものだ。これによって工作がかなり楽しくなり、また素晴らしい仕上がりが得られるだろう。道具は生き物のようにも思える。いたわりながら大切に、心を込めてて使いたい。
 道具は、使い方が正しく、手入れさえ行き届いていれば、無理に力ずくで切ったり、削ったりしなくても、十分にその能力を発揮する。まず第一にそうしなければ切れない道具を使うのは非常に危険である。切れないがために無理な作業をするので、ケガのもとになる。次に疲れるだけでなく、能率も悪く、工作が思うようにはかどらない。これでは仕上がりにも影響するし、工作が面白くなくなる。
 加減とは道具の動かし方と力の入れ具合である。ノコを使うとき、切り始めや途中、切り終わるときなど、加減の仕方が皆違う。また材料の厚みや堅さ、木目に対して横挽きか縦挽きかでも違う。これらは実際に体験して習得する以外に方法はない。
 カンナや小刀類も、加減するこは同じである。特にこれらは、ならい目、逆目に注意する。木表は上から根元に向かってならい目、木裏はその逆である。カンナは刃の調整が最も難しい。これをひとことでいうことは不可能に近いが、まず軽くかけてみる。材料に引っ掛かりがなければ刃を徐々に出してゆく。いちいち試しながら調整しなければならない。一気に削ろうとして刃を出しすぎると、材料に食い込んでしまう。
 ノミを使う場合、頭を思い切り強く叩いているように見えても、実は切り込みの深さや刃先に無理がないかなど、感触を得ながら加減をしているのである。また、材料を割ってしまうことのないように気を配らなければならない。本書の工作では、柱のホゾ組みを加工するほど大きなものはない。したがって軽く叩く程度でよい。あとはノミを手で押してでも加工することが出来る。
 本書の作例は、大半がダボと接着剤で接合している。これはホゾ組みに比べると格段に容易で、強度は十分すぎるくらいだ。また、形の感じを見るために仮組みをするのに非常に好都合でもある。ダボを使うには、まず穴をあけねばならねいが、これはドリルを使用する。ドリルビットはダボ径の80%ぐらいがよい。あまりきついと材料を割ってしまう恐れがあるからだ。こうした加減も、研究しながら感じ取ってほしい。
手は有効に使うとして、これだけは揃えたい道具たち


 日常何気なく使っている手を、改めてよく見ると、実によく出来ていて、これほど自由自在によく利く道具?は見当たらない。しかも、すでに”手持ち”というのだから素晴らしい。
 どんなに良い道具を使っても、手が思うように働かなければ、道具は生きてこない。つまり、道具を生かすも殺すも、使い手次第ということになる。ということは、工作の出来不出来にかかわることだから、頭とともに手を上手に使おう。手を使うと、頭の働きも良くなるそうだから、一石二鳥というわけだ。
 手を使うには、手加減が必要である。日常生活では無意識に手加減しているが、初めての道具を使うときは、十分注意してほしい。そして、いろいろ試しながら手加減を身につけたい。道具は、使い方が正しければ、実に気持ちよく、思うように働いてくれる。手加減をするというのは、何も道具を使う場合に限ったことではないが、ここでは余談はさておき、道具を使う場合の手加減について考えてみよう。
 日本の伝統的な道具は、大変素晴らしいが、使い手の技術を要求する。昔から、日本人は器用だといわれているが、それは今のように、手づくりが趣味の分野ではなく、日常生活に不可欠なものであった。だから日常さまざまな道具を使っていたからだと思う。ナイフやフォークを握ったり、自動販売機のボタンを指作で押したりするのは簡単であるが、手を十分に生かした使い方とはいえない。もっとも、フォークの背にご飯をのせて口に運ぶといった芸当をする人もいるけれども……。なにも手を使うたびに、器用なことををするというのではない。ただ現代社会においては、そうした手の使い方が必要ないというか、少なくなってきているように思う。
 道具を使うというのは、道具の動かしかたと力の入れ具合、これが、今まで手加減といってきたことだと思うし、これは材料の堅さや厚みなどによって、また、切り始めや途中、切り終わるときなど、加減の仕方がさまざまだと思う。こうした加減を無視すると、思うように切れなかったり、道具を傷めたり、あるいはけがをしたりする。
 道具というのは、さまざまな測定や加工をするために、その目的に応じて、多種・大小数多くある。初めからたくさん揃えても使いきれるものではないので、必要に応じて少しずつ揃えるのが賢明である。ノコ1つでかなりの工作が出来るし、1つ道具を加えれば、それだけ工作の幅が広がる。
 まず最初に、このくらいあれば、この本の工作は出来ると思われる道具を選んだのが上の写真である。この中でも曲尺やスコヤなどは、手持ちの三角定規で代用することも可能である。しかし道具というのは、実に便利に、能率よく作業出来るように出来ている。使うほど感心するのである。
 大は小を兼ねるというが、道具に関しては通用しない場合が多い。径10mmのドリルで7mmの穴をあけることは出来ないし、キリやノミも同じ理屈である。
 次ページより、道具の種類と使用法があるが、こんなに揃えなければならない、などと思わないでほしい。知識として学び、この中から必要なものを選んでほしい。なお道具の使い方については、この本の工作の範囲内にとどめ、その道具を100%活かす説明には至っていない。
 道具の中で、特に刃物は、使えば徐々に切れ味が悪くなる。そうした場合手入れをしなければならない。刃物に限らず、道具はすべて手入れをし、いつもピカピカにしておこう。道具の手入れが楽しくなれば、しめたものだ。これによって工作がより楽しく、また素晴らしい仕上がりが得られるだろう。道具は生き物のようにも思える。いたわりながら大切に、心を込めて使いたい。
 道具は、使い方が正しく、手入れさえ行き届いていれば、無理に力ずくで切ったり、削ったりしなくても、十分にその能力を発揮する。まず、第一にそうしなければ切れない道具を用いるのは非常に危険であり、切れないがために、無理な作業をするので。けがのもとになる。次に疲れるだけでなく、能率も悪く、工作が思うようにはかどらない。これは仕上がりにも影響し、工作が面白くなくなる。くどいようだが、道具は使うだけでなく、十分な手入れをするよう心掛けたいものだ。
道具
 当然だが、道具を使用するには体を使うから体で覚えることがたくさんある。私たちが覚えるとか記憶するのは頭脳だけではなく、体も多くのことを覚えるのだ。そして頭脳よりも敏感に反応する。
 箸や茶碗を持つときはそれぞれ手加減が違う。これは長年の習慣で無意識に実行している。自動車や自転車の運転もそうだ。体を使う行為はすべてこう言える。
 かつて親戚の娘が婚約者を連れてきたことがある。彼は航空会社でパイロットの訓練を受けていた。ちょうどわたしは小型航空機のカタログを作っていたので、話がはずんだ。
 おもしろいと言ってはなんだが、彼の話によると『グラウンドに描かれた直線や曲線上を正確に歩く訓練』というのがあるそうだ。線上から少しでも外れると平手打ちが飛んでくると言う。訓練生の中には「なんでこんなことをしなければいけないのか」と不満を漏らす者がいるが問答無用だ。これには即座に納得した。理屈ではなく体で覚えさせるからだ。こうして身に付ける感覚があるからだ。
 体で覚えるには訓練以外にない。道具を上手に使えるようになるのも同じだ。道具が活きるか否かは使い手次第だ。とくに日本の伝統的な手道具は顕著だ。
 このように考えると、人の体は高性能な道具になり得る。体を有効に使いこなすのは、その場の目的を果たすだけではなく、あらゆる面で、あまねく人生に影響すること多大である。
 昨今、コトを単純にすます傾向が見られる。箸や鉛筆をまともに使えない人もいる。ナイフとフォークは握るだけ。自動販売機はボタンを押すだけ。歩くことさえ嫌がる人も増えている。これでは、体の機能アップどころか退化してしまう。
 人は体を使うことによって能力の活性化をはかれると言う。とくに手先には神経が集中しており、手を駆使することが重要なのだ。そうした意味でも、工作は格好の手段と言える。
 日本の伝統的な手道具は使い手の技術を要求するから技術次第でいかようにも働く。名人芸というように使い手を指すのはこうした理由からだ。
 工作道具を使うには、感触をつかみながら、道具の動かし方と力の入れ具合、この加減が重要だ。これは千差万別で、材料の堅さや厚み、また切り始めや途中、さらに切り終わるときなど、加減の仕方がみな違う。こうした加減を無視すると、仕上がりに影響するだけではなく、道具を傷めるし体も疲れる。
 道具の大半は刃物だが、これは使うほどに切れ具合が落ちてくる。本来はそうなる前に手入れをしなければならないが、手入れがゆきとどいた道具では、力ずくで作業しなくても十分にその目的を果たすことができる。
 これから工作をはじめるなら、これだけ揃えれば十分すぎるくらいだ。
 思うように加工ができなくて、途中で止めたら無駄になる。したがって、住いの修理くらいは役立つ程度に揃えるのが賢明だ。
 工作の楽しさがわかり、あれこれ作りたくなってから揃えればよい。
足も実に便利なバイス?
 固定具・バイスといえば、一番便利なバイスは「足」である。取り付け、取はずしがまことに速いので、おおかたの作業は足や手で材料を押さえている。しかし足で押さえるには限度があるので、ノコを挽いたとき、材料が動くことがある。だがもし、動かなければ、ノコを曲げてしまうか、歯を欠くかもしれない。そう考えると、材料が動かない程度にノコを挽くことが無理のない作業だと判断している。ノコを挽いたとき、体が前方へ引かれる。足を材料に乗せてふんばれば、その支えにもなるのだから、バイスで固定しても足を添える。
 ノミを使うとき、ベンチを作業台にするなら、片足をアグラをかくようにして材料の上に座る。もう片方の足は床に置く。こうした方法は、僕の発明でもなんでもなく、子供のころよく見かけたものである。体で固定することは、クッションの役目をし、逃げ場があるというか、材料や、工具にも無理がないように思う。
 材料が小さければ、左手のヒジや手首あたりで押さえ、さらに手でノミの根元を持つ。しかしノミの頭を叩く手加減をよほど注意しないと、左手の骨にじかに響いてくる。ノミを使う作業で、材料をバイスに固定することは考えられないことだ。それは、叩いたときに手に大きく響き、バイスも傷む。
 ちなみに、金属材料を使って旋盤やフライス加工をすることがある。模型用の小さなものだが、精度は本格的なものだ。高速で回転する加工物に、バイト(刃物)をゆっくりと、100分の数ミリ単位で近づける。接触した瞬間、バイトが逃げる。これは見て分かるほどではなく、感覚的に感じる程度。もちろんすぐ元へ戻り、切削を始めるわけだが、もしこのときバイトが逃げなければ、刃を欠くか、加工物を砕くかもしれない。物理的に正しいかどうかは知らないが、反動に対して逃げ場が必要だと思う。
こうしたことは、ノミやハンマーを使えば経験すると思うが、反動に対して逆らえば手に大きく響いてくる。だから柄をしっかり握るといっても、ただ力強く握るのではなく、クッションを持たせるような握り方がよいと思う。
 余計な話になるが、逃げ場とは、工作に限らずなんにでも必要なことだ。自動車のハンドルには遊びがあるが、これも一種の逃げ場である。絶体絶命とは逃げ場がないことではないだろうか。
木材
 我が国は森林資材に恵まれ、伝統的に木材を利用してきた。これらは住宅をはじめ家具や生活道具、また紙などにも活かされている。木は暖かみがあるというように、肌ざわりがよいことや、木目や材質感の美しさがある。これは金属やプラスチック類では得られない特徴だ。また加工しやすいのも大きな利点だ。
 木材は自然の産物だから、切り出した後に植林しなければならない。けれどもその成果は数十年後であり、そんな先のことを心配してはいられない、といった状況がみられるのは残念だ。
 近年輸入材が比較的安価で入るようになった。樹木は気候や風土に大きく左右されるが、わたしの好みからすれば輸入材は大方好まない。国産の材木は木目が細かく繊細な感じがして香りもたへんよい。しかしすべての材木を使用した経験ではないから、言い切ることはできない。また虫除けのためか、薬品処理をした材木も見受けられるが、これでは木材のいい香りどころではない。
 木材は工作物の用途によって材質を選定する。これは強度とか耐水性などだが、本サイトの実例ではそれほど問題にならない。したがって一般的な木材ならなんでもよいということになる。ただしワラン材や集成材は加工がしにくいだけではなく、材質感もあまり好きになれない。
〈種類〉
 原料が樹木ですから、その種類だけあるようだが、どんな木でも工作に適しているとは限らない。太く育たなければ、幅の広い板材をとることができないし、強度や加工の適性、それに木目の美しさなどが要求される。
 工作に適した木材は種々あるが、材料店で入手できるものに限定されてしまう。ケヤキは重厚で材質感も素晴らしいが、実際入手するのは困難であろうと思われる。また非常に高価で材質も堅く、刃物の消耗が際立って早く現実的ではない。
 作例ではスギ材とヒノキ材を使用している。どちらも加工がしやすく、材質感も素晴らしい。また種類は同じでも、その材質によって価格は大きな開きがある。
〈木材の入手〉
 木材の購入は材木店だが、材木店は本職相手だから扱い量が大きい。よってわたしたちの工作に使う量ではなかなか相手にしてくれない。けれども材木店には半端物がよくあるので、ご近所や顔なじみになれば、これらを分けていただく方法もある。ただし材木店といえども、多種多用の木材を扱っている場合は少なく、材質は限られる場合が多いようだ。
 一般的には日曜大工センターやスーパーなどで購入することになる。とくに最近では手作りに主眼をおいた大型店もある。
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