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●教わったり指示されるのではなく、自分の意思で自分の考えで実行できるのは嬉しい。そして成果が見えてくると喜びは無限に広がる。こうなると人生が楽しく作業が娯楽になるのである。ここが物質による喜びとは大きく異なるところだ。物質でしか満足できないのは精神的な喜びが欠如しているともいえる。モノを欲しがり、モノを与えればいいと思う向きが増えたのは高度成長以来著しい。
人は本能的に自分の意思で行動する、教育はそれを踏まえて指南しなければならない。病気は自ら治し、医者は手助けするのだという。
●喜びは大きいほど安易に実現しない、ハウツー書物をいくら読んでも実践しなければ意味がなく、また速効性はないから鍛練するしか手段はない。
●趣味で工作をするのに、七面倒な理屈は不要と思うかも知れない。けれども創作する姿勢は工作にかかわるだけではなく、人生に絶大な意義があると考えていい。これほど意義深いことを、余暇を利用して趣味で自由に作業できるなら楽しいではないか。
●伝統的に有形のものには投資するが、無形のものには投資しない。一生物というようにモノを大事にするのである。むろんそれは当然だが、裏腹に個を粗末にする傾向にある。他人と同じことをしていては個性もなにもなく、個は能力でもあるのだ。
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●人は楽をしたいから就職して安定すると勉強しなくなる。生活の糧を得れば安心し快楽を求めるようになる。人生は心の豊かさにあるが、それは物質によるのではなく精神にあるのだ。モノによる満足感は当座に過ぎないが精神的な満足感は無限だ。あらまし人は見えるモノしか意識にないから、時間とお金もそのようにしか使わない。そうではなく自分自身の性能を向上するのに費やしたい。それには自ら行動するのだ。
●仕事では自分の意思で、思い通りにできることは少ない。場合によっては皆無かも知れない。仕事では経済効率が優先されるから当然だ。これではおもしろくないだけではなく、潜在的な能力を開花せずに終わってしまうかも知れない。
●ところが趣味で実行するなら、依頼された仕事のように納期・価格・出来具合などの制限がない。これほど素晴らしい作業が世に存在するだろうか。けれども遊びなら自由にできるのだ。
●これほど自由な素晴らしい特典があるのに、これを利用しないとすればもったいない。けれども自由にできるということは厳しい、すべてが自分の能力にかかっているからだ。そうした意味で自分を試すのにも格好の試練になる。
●そうはいうもの「なにをどうすればよいのか分からない」というのでは頼りない。だとすれば自主性を失いかけているかもしれない。それなら早速実行に移そう。もちろんこのサイトは一例だから、自己の創造力を発揮できるテーマならなんでもいい。
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●ここでは思考を試みながら、過程と成果が具体的な形あるものを考えた。そこで選択したのが木材による工作だ。これなら完成後には実用にもなるからまったく無駄がない。
●子供のころ「人は誰にも色気と大工心がある」と聞いたことがある。まことに本質を突いている。色気についてはここで云々しなくても、充分目的を果たしていると思うが、大工心はそうでないかもしれない。大工心といっても家を作るのではなく「モノを作る」創造と解釈していい。創造といえば特殊な技術を思い浮かべる傾向があるが、職業いかんにかかわらず、また日常生活にこそ絶大な意味がある。完成度の高い技術も文化も、最初から存在していたのではなく日常生活の産物であった。
●体でなにかを作るのはとても意義あることだ。知的でなくレベルが低いと解釈するのは間違いだ。現代は知は必要なときにいつでも仕入れることができるが、思考力はそうはゆかない。工作は適度に体を使うから健康にもよいし、手先には神経が集中しているそうだから、脳の活性化にもなって好都合だ。
●趣味で工作するのは思い通りに、自由にできるのだからこれほど楽しい作業はない。こんないいことずくめが遊び感覚でできてしまう。頭を使うというよりも作業事態が脳を刺激するから自然に使われてしまうのだ。しかも使うほどによくなるのだから嬉しい。
●こうした経験はあらゆる面に生きてくる。アヤツリ人形やカラクリ人形に張り巡る糸が電子回路なら、といったように想像は飛躍する。
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できない理由は?
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●忙しくてできないという向きがある、あらましセンスはあるが時間がないという意味合いだ。なにごとも実行するには時間とお金、感覚が必須なのは当然だ。しかるに時間の調節も能力の内で、それが上手な人は仕事も巧みだ。
●ところで、自ら行動しない世代があるという。なんと五十代に多いそうで、そんなこと年代には関係ないと思うが、そう言われると思い当たる節がある。すべて相手のせいにして自分にはまったく不備がないのである。理屈っぽく、愚痴や言い訳ばかりで人間的にも魅力がないのである。けれども逆の人もいるから一概にはいえない。
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金銭を無視する
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●なにかをすればお金になると決め付けている人がいる。忙しければ結構というように習慣づいている。思考するとき金銭的価値観を頭に入れたら、その時点で自由を奪ってしまう。カネにならないことをするのは無意味というなら、カネになることだけを考えればよい。荒んだ人間になること受け合いだ。世間にはこういう人がいる。
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自由な発想
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●このサイトは日常体験できない創造的な技術を鍛練しようとするものだ。仕事では制約だらけで不満もあるが、だからこそ目的を果たすことが可能とも言える。制約のない仕事など存在しないが、かりに存在するとしたら、かえって戸惑うかもしれない。ここではそんな体験をしようというわけだ。まさに自由にできるという素晴らしい作業だ。そうした意味で、目的なく材料をこねくりまわしてみるのもいい。
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形を楽しむ
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●実際に形を造るということは、文字通り形があるから具体的だ。ここには抽象的な概念は皆無だ。抽象的なほうが高度といった考えがあるようだが、そんなことはない。主観と客観も同様だ。それよりもなによりも楽しんで形を造ろう。こうした姿勢が肝心だ。
●また工作を重ねると端材がたくさん出る。端材は形を考えて切ったのではないが、こうした中におもしろい形がある。これらを組み合わせるだけでも、予期せぬいい形ができることがある。
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既成概念にとらわれない
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●「楽しみながら形を造ろう」と言っても最初は戸惑うかも知れない。私たちはなにかをするとき、これまでの知識や経験にもとづいているからだ。むろんこうした積み重ねを元にして構築してゆくのだが、これだけではさらなる発展は望めない。
●コンピュータのようにアタマを初期化できればよいが、人はそうも行かない。脳のすべてを初期化してしまったら、これまでの蓄積が消去されてしまう。したがってバージョンアップするのだ。
●それには「遊びの思考作」を実行するのはとても意義あることだ。ここには思考の過程が目に見えており、モノの見方や考え方に新しい世界が展開する。
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他人の目を気にしない
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●人目を気にすることがあり日常はそれだけの人がいる。けれどもそれでは自分の意思とは裏腹だ。ここではまったく自由なのだから、人目は無視しよう。そのほうが他人もびっくりする作品ができる。
●昨今、やたらと「させていただきます」が流行っているが、させていただく必要はまったくない。自分の意思で実行すればいいのだ。
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釣合い
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●子供のころ釣合がいいとか、よくないということをよく言われた。それは自分とモノとの関係だけかと思っていたら、のちに人間同士の場合もあることが分かった。世はすべて釣合で成り立っている。
●心はもちろん身辺からすべてがそうだから、釣合がいかに重要かが分かる。いわゆるバランスだが、すべてにバランスを保ちながら作業を実行したいものだ。もちろん工作物の形もそうだ。
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思いきった決断
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●意思決定をするには決断力が必要だ。これがままならず躊躇する場合が多々あるがここでは思い切ろう。なにせ自由だし失敗してもそれは次の大きな原動力になる。失敗を恐れていては進歩がない「失敗は成功のもと」というが、まさにその通りだ。
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好き勝手がいい
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●好き勝手は自己中心の考え方だが、ここでは自己中心でなければならない。このようにできるなんて幸せではないか。しかしながら「どうぞご自由に」と言われるとかえってできないもんだ。なぜなら自分を試されることになるからだ。
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速効性はない
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●昨今とかくハウツーだのノウハウだのが流行っているが、こと思考性・創造性に関してはイージーなハウツーやノウハウはない。本サイトもその一端で、理解しただけではなんにもならない。思考作業を繰り返し実行して身に付くのだ。人生は思考作業の連続で終わりはない。
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道具
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●本サイトは具体的な形のある工作を通じて思考性の一端を提案している。実現するには加工技術が重要な要因となる。作業は自ずと体が思考するから、道具を使う目的は具体化するに留まらない。全身で思考するという意味で、これは体験しないと身に付かない。理屈を述べても頭で分かった感じがするだけだから、ここでは道具の概略を経験則から述べる。
●道具は伝統的なノコギリ、カンナ、ノミ、キリなどだが、定規や締め具などを除けばほとんど刃物だ。これらは切削の具合や感触を確かめながら感覚的に作業しなければならない。つまり技が要求されるのだ。したがって力ずくで加工することはない。
●工作といえばハンマーとクギを想像する向きもあるが、これらは使わない。カンナ刃の調整は木製の鎚を使う。金属同志をタタクのはよくないからだ。接合はクギではなくダボといって直径6ミリから18ミリくらいまでの木の丸棒を使う。ノミを使うには押したり手の平で軽くたたいたり、あるいは体重をかける。木鎚でたたくのは、よほど大きなホゾを掘るときか、節など硬いところがある場合だけだ。
●電動工具は糸ノコとダボを通す穴開けにボール盤を使っている。丸ノコとカンナ盤は騒音が激しく加工の楽しさがない。
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鉛筆立てを作りなさい。こう言われたら普通は角型か丸型で、コップ状になると思う。これは、鉛筆立てとはこういうもの、というように決めている証拠でもある。
それはいいとして、ここでは壁掛け式に考えてみた。玄関や電話器の脇、台所など、入り用な場所に掛けておくと便利だし、インテリアとしても楽しい。
写真1は、角材に穴をあけ板材に接着した。右側は隣合わせの間にノコで溝を入れてある。左側がベンチとすれば、右側は区切られた指定席にいるようである。
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指定席を完全に切り離し、位置を変えることによって2のような形にすることもできた。それなら半端な材料を利用して3も可能だ。
ここまでできると、4と5のようにスタンド式にするのは即座に思いついた。
経過を追って形と機能の変化が理解できる。これはあくまでも一例であって、こうした考え方は鉛筆立てに限らず、さまざまな工作物に応用することができる。
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●私は木工作の専門家ではありませんので、趣味として工作を楽しんでおります。木材を材木屋さんから購入するようになって二十数年になります。材木屋さんといえども、通常扱う種類は非常に少ないのですが、幸い利用しているお店は種類が豊富でした。また木の種類は同じでも、材質によって価格の差が数十倍もあることを知りました。
●はじめは各種の木材を試しましたが、ケヤキでは簡単な腰掛けを二つもできないうちに、ノコの歯を消耗してしまいました。ケヤキは反るというよりもアバれるというそうですが、二十数年前に購入したケヤキは今でもアバれています。そんなわけで、堅くて重いケヤキ、ナラ、カシ、ブナといった木材は、それにふさわしい工作物ができるようになるまで寝かせております。そして主にヒノキとスギを使うようになりました。私の工作では材質はそれほど重要ではなく、形を作ることを楽しむので、比較的軽くて加工しやすい木材がよいのです。
●材木は計画的に購入するのではなく、直感で気に入ったものを選びます。材木屋さんで何を作るのか聞かれても、返答のしようがないので変な人に思わたようです。材木を選ぶときは、使用目的がはっきりしているのが普通だからです。
●こんな具合ですから図面も描きません。材木を見て、これで何ができるかを考えるのです。寸法も板幅によって決めることが多いのです。長さは幅との関連で決めます。まことに大ざっぱですが、これも趣味だから許されるのでしょう。
●もともと道具趣味がありましたから、金属加工用の旋盤、フライス盤、ボール盤といった小型の工作機械で楽しんでいました。そんなわけで木工用も大いに凝りました。デザインのすばらしい外国の電動工具を各種取り寄せましたが、丸ノコとカンナは数回試しただけで、その後まったく使いません。十数年前からは伝統的な手道具を使っています。これらは使い手の技術を要求してきますが、そこに意義があると思います。加工は目的を果たせばよいのではなく、道具を全身で使ってこそ工作の喜びがあります。体で覚えるといいますが、まことにそのとおりだと思います。覚えるとか記憶するのは、頭脳だけではないことが本当によくわかります。そして頭脳よりも敏感に反応するのです。またこうした道具は、ほどよく全身を使うので、疲れかたが実に爽快です。
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●工作の手始めは家具でしたが、どのみち作るなら既製にないものと考えました。けれども家具は機能が優先されますから、形は自ずと限られてしまいます。また加工技術も未熟でしたし、必要に迫られたわけでもないので興味が薄れてきました。それでも形の変化やおもしろさを求めて、奇妙な形の家具を数十点作りました。
●工作が重なると、切り落とした端材がたくさん出ます。初めのころは捨てていたのですが、あるとき大小の端材をより分けていると、おもしろい形があります。それらを組み合わせると想像もできない形ができるのです。これは大発見でした。なによりも興味の対象になりました。それからというものは、端材に手助けしてもらい、あらゆる工作物に応用するようになりました。またノコギリや糸ノコで適当に切っては、組み合わせを試みることもしました。こうして端材だけで形を楽しむことを覚えました。
●こうした作業は、知らぬ間に思考を伴っていることに気がつきます。頭を使うというよりも、自然に使われているのです。現物を手にしてあれこれ試みるからでしょう、これは机上で想像するよりもはるかに具体的でした。工作といえば加工技術を指すように思われがちですが、思考と創造性が最も重要であることを教えてくれます。そして工作を実行すれば、これらを知らぬ間に実践しているのです。
●人は考えたり工夫したり、ものを作る習性があるといわれます。仕事では制約が多いので、自由にできたらどんなにすばらしいかと思うことがあります。しかし「ご自由に」といわれたら、意外にできないものです。けれども仕事では制約があるからこそ、ある一定の期間で目的を果たすことができるのです。
●趣味の世界はまったく自由です、なんの制約もありません。売れることやコストの心配も不要です。なんでも自由自在です。しかしながら、自由ほど厳しいことはないとも言えます。なぜなら創造力を問われるからです。そうした意味で工作は、自身を試すのに格好の作業といえそうです。
NHK趣味百科テキスト
ウッドクラフト入門 -1993-
「本多信男・思考の旅」より
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かつて生活用具はむろん、家までも身近な素材を利用して作った。材料はすべて周辺にある自然を利用したが、現代では容易くない。けれども庭木の手入れをしなければならないお宅はある。本職に依頼するのもいいが、自分でやってみるのも健康的でおもしろい。
清掃局に出すにしても燃やすにしても、ある程度短くしなければならないが、遊び感覚でやると楽しい。枝によっておもしろい形があるのである。梢を下向きにするのは接点が多いから容易に立つが、上向きだとバランスが難しい、けれども感覚を確かめるように試みると楽しい。
そうこうするうち、熊手のように利用できるのだはないかと考えた。細い竹を柄にして加工すると見事に出来上がった。
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竹垣を作りたいと考え、隣家の山の竹林で十数本切らせていただいた。山といっても数十メートル先だし、運搬は下りだからたいして難儀ではない。でもこんなことをしていると、近所の奥さん方がでてきて手伝ってくれた。
「竹を割ったように…」と言うように見事にスパッと割れる。どのように組むか、こうした思案も楽しい。焼き芋を食いながらの遊びだ。仕事だと能率が問われるが遊びだから気楽だ。こんな具合だから未だに完成しないが所定の場所に設置はした。あとは要所要所の仕上げだが、これまた思案のいたすところだ。
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枝と竹の残材を組合せるとこれまたおもしろい。
目新しくもなんともないが、身近な材料を活かした先人たちの一端に触れた次第である。なによりも実行してみることが大事であることがよくわかる。
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