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なにかを見るときは予備知識があった方が理解が早い。現物を目前にしてそれを確認するわけだが、それゆえに思索することも少ない。まことに効率よいが、結末から読む推理小説のようである。
だから予備知識なしに見るのがおもしろい。この方が想像力を巡らせるから楽しいのである。長床の場合は、予備知識どころか突然目の前に現れたといっていい。これは最高の出会いである。
事務所の栗村恵美君の実家を訪ねたとき、市内を案内してくれた。「ながとこ」にいってみるかという声があったが、それがどういうところか皆目検討がつかなかったし考えもしなかった。
どこでも車をおりてちょっと歩くのであるが、右に折れた途端、正面奥に林立する柱が目に入った。全景は見えないが、柱や屋根の大きさからして相当に大きいことは容易に想像できた。大きければよいというものではないが、ここに存在することが驚きであった。
柱は建築最大の要素といっていい。こうした柱は支えるのが目的であるが、露出しているだけに美感も工夫されている。また家族を支えるともいうように、柱は喩えられることが多い。いにしえの柱は頼もしい。頼もしい人は柱がしっかりしているからだ。昨今すべてに頼もしい柱がなくなった。
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いにしえの柱は円柱が常識だ。近代のビルや家屋は材料や工法の関係で角になるのだろう。切削は角のほうがたやすいし材料どりに無駄がない。
巨大な木造建築の円柱は、原木に近いから加工もたやすいだけではなく、見た目も強度も優れている。さらに曲面は人に優しい。パルテノンは石材だが円柱だ。樹木が円ではなく、角だったらどうなっていただろうかと余計な心配をしてしまう。年輪は年角とか年四方とでもいったのだろうか。
四方吹き抜けなところから、どうやら舞台のようである。もちろんそれだけではなく、儀式をはじめあらゆる用途に利用したと思われる。それなら囲いがあったのではないかと子細に観察したが、それらしき形跡はなかった。
風化が激しく修復の後がみられるがかなり手荒い。床も波うっている。いずこもそうであるが、こうした遺構には手がまわらないのだ。まことに情けない。
本殿は舞台とたがい、ごく小さく質素なのであった。そのせいか本殿よりも「長床」が知られている。最盛期はさぞかし壮観であっただろう。銀杏の大木と舞殿らしきは鶴岡八幡宮を連想させる。
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